絶望だらけの26歳男がモーニング娘。の『I WISH 』について語ってみたい
あの頃、ただやみくもに生きて、社会に中指を立てれずとも、こんな大人になりはしないと、夜中にカラオケで叫んでいたり、朝っぱらからラーメンを食べたり、兎にも角にも、ただ、大人になることを、否定して、そのくせ、未来には、この人と幸せになりたいなんて、無茶なイメージだけで、生きてこれた。
そんな、過去の甘さと、未来への漠然とした、希望と、今という絶望を抱えながら、社会人3年目は終わり。神様か、クソみたいな上司が言った、「最低、3年は最初の会社に勤めろ」という、やり直しの効かない、生き地獄という呪いは、不自由の中にある幸せという、優しさに縋りながら、生きるということを教えてくれた。
いつのまにか、自分の持っているカードは、あまりにも弱いということに気づき、見渡してみれば、コロナウイルスという、見えない絶望感が、この国だけならず、世界中に広がっていった。
「グローバルに生きたいよね」が口癖だった友人はいつのまにか、LINEから姿を消した。
そうか、自分には、もうここで、こそこそと生きていくしか道がなくて、それを納得することで、少しずつ自分の価値観を高めていくことしかないと思っていても、現実は恐ろしく、諦めを押し付けてくる。
そんなパターンに満ちた人生を、少しだけ、有意義にするものは決まって音楽だ。
自分の好きな映画『はじまりのうた』のセリフに
平凡な風景が意味のあるものに変わる。
陳腐でつまらない景色が美しく光り輝く真珠になる。
音楽でね。
というセリフがある。
おそらく、これは間違いなく、正解。
そして、いつだって、人はそんな誰しもが思う特別な1曲というものを、スマホの、いや、心のプレイリストに中に隠し持っているものだ。
そして、自分にとって、その1曲は間違いなくこれだろう。
モーニング娘。『I WISH』
自分の中でモーニング娘。の1番好きな歌を答えてくださいという、アンケートがあれば、まぁ、間違いなく、これが1位だと思う。
もちろん、打線が組めるぐらい、モーニング娘。の楽曲は優れた歌が山ほどある。
とはいえ、1位はやはり、『I WISH』なのだ。
間違いなく。
この歌が、世に出たのは、まさに、モーニング娘。が後に黄金期と呼ばれる頃、安倍なつみ、ゴマキ 、辻ちゃん、加護ちゃん、全盛期中の全盛期。怖いものなしの、最強アイドルグループだった。20世紀最後の年、2000年。
世界が終わると言われた1999年。世界が終わらなかった2000年。
そんなとき、自分はまだ、モーニング娘。の魅力がわかるほど、大人でもない、まだ5歳の頃。
この後、自分に訪れる、両親の離婚であったり、なにかと悲劇的な明日なんて知らなかったあのときに、この歌は誰かの心を救っていた。
そして、14年後。僕はこの歌と再会する。
YouTubeで、何気なく、モーニング娘。の楽曲を再生していたとき、ふと、流れてきた。
この歌に。
ひとりぼっちで少し 退屈な夜
私だけが淋しいの? Ah Uh
くだらなくて笑える
メール届いた なぜか涙止まらない
Ah ありがとう
1人、ベッドの上で、モーニング娘。や、ハロプロの楽曲に癒される。
そんな日々は、人生における、ストレス発散の1つだし、癒しに繋がる。
アイドルの楽曲や、ライブ映像を見て、涙を流すようになった、社会人3年目。
沢山の失敗をしたとき、帰り道に届いた上司からのLINEで励まされて、その後、シャッフル再生で流れてきた歌も、この『I WISH』だ。
そのとき、涙が止まらなくなったのも、覚えている。
まだ、モーニング娘。ハマりきっていなかった自分に、この歌は強烈な一撃を与えてくれた。
人は、こうもあっさりと、泣くのか。
仕事のことで、涙を流すようになるほど、少しずつ大人に近づいたのか、社会人、1年目が終わりに近づいていたあの頃、僕は確かにこの歌に救われた。
誰よりも私が 私を知っているから
誰よりも信じてあげなくちゃ!
人生って すばらしい
ほら 誰かと 出会ったり 恋をしてみたり
Ah すばらしい Ah 夢中で
笑ったり 泣いたり出来る
人生をすばらしいと言い切ることはあまりにも難しい。
大好きな親友の転校、大好きな上司の異動、大好きな彼女との別れ。
振り返れば、いろんな大好きな人とお別れを繰り返した。
ただ、見方を変えてみると、それだけ、大好きな人と出会いがあったということだ。
毎日のように、ニュース速報で流れる、またか、と思いたくなるぐらい、絶望に慣れすら感じられる。
いつのまにか、マスクをしてないことの方が、不安になるし、こうやって、人はいろんな、絶望に慣れていく。
そんなとき、必要なのは、自分自身を信じるという力なんだろう。
今、現在、自分自身は転職活動を行なっている。
どうして、こんな時期に、安定感もある大手企業から、出ようとしているのか。
それは、もう簡単な理由でしかない。
自分自身を信じるしかないから。
きっと、この先も、もっといい、未来、そんな希望を持って自分が進むしかないと思ってるから、まだ、自分はなんとか生きている。
どれだけ、納得できなくなっても。
誰かと話するの 怖い日もある
でも勇気を持って話すわ 私の事
晴れの日があるから
そのうち雨も降る
全ていつか納得できるさ!
人生って すばらしい
ほら いつもと 同じ道だって なんか見つけよう!
Ah すばらしい Ah 誰かと
めぐり合う道となれ!
ある意味、何かを書くということは、勇気のいることだ。
自分の教科書は自分だけのもので、どこにマーカーを引いているか、落書きなんてものも、破れたページも、できれば見て欲しくない。
それでも、表現して、誰かに評価されることでしか、進めない道もある。
こうやって、noteを書けば、幸せに満ち溢れたときも、悲しみに溢れていた頃もある。
そんな、晴れの日もあるからこそ、そのうち雨も降る。
今、自分の頭の上は、大雨特別警報が発令中で、いろんなことが、自分のプレッシャーになっている。
もし、会社を辞めたら、これからの生活は?
彼女は結婚したいと思っていてくれていても、養うことができるのか?
アルバイトで、好きな仕事をしても、その先の安定は?
ていうか、このまま、ストレスに満ちて生きていたら、死ぬんじゃね?
いや、死にはしないけど、鬱病とかなったら、どうする?
色んな、人生の、レールを、外れそうになりながら、食らいつく。食らいつけば、食らいつくたびに傷が増えていく。
少しだけ、休みたい。
そう思っていても、人生は中々止まらない。
だからこそ、嫌なことがあった、帰り道にこそ、ほんの少しのハッピーを見つける大切さを、この歌は教えてくれている。
そして、いつか納得できるのだ。
こんな、思いも、不安も、辛さも、嫉妬も、色んなことを感じて、進む先に、この瞬間を納得できる日が来る。
どうして、つんく♂さんが、この歌の作詞において、晴れの日があるから、雨が降ると書いたのか。
本来ならば、雨の日があるから、晴れの日が来ると表現した方が、−から+に転じることができて、気持ちいいのに、あえて、+から−に表現しているのは、満ち足りた日々に甘えて生きていくな、という勝手なメッセージだと思っているし、実際、この歌の主人公は、間違いなく、当時のモーニング娘。たちで、特に加護亜依ちゃんのための歌にすら思える。
全盛期は一度だけとは限らない。
晴れの日もあれば、雨も降る。
そんな、ことを全部納得して、そして、忘れてはいけないことは。
でも笑顔は大切にしたい
愛する人の為に…
隣で眠っている、恋人を見てると、せっかく、彼氏がいるのに寝るなよと思うことがある。
とはいえ、人は好きな人に似てしまうもので、僕も、よく眠るようになった。
また、寝てたと、笑いながら、朝の5時からお風呂に入るような、2人は、常に笑っている。
彼女と出会った場所は、今の会社だ。
なんのために、働くのか、というか、自分はこれでよかったのか。
経験者募集の欄を見るたびに、自身のスキルのなさを痛感しながら、転職サイトを閉じるそんな日々。
とはいえ、僕は彼女と出会うために、この場所に来たのだ。
思っていた以上に、あなたの人生も、そして、僕の人生もすばらしい。
そんな日々に、ふと、街中にこの歌が流れている時代があったこと。
そして、どこかで、この歌を聞いて救われている人がいる。
絶望が闊歩する時代に、こんな希望に満ちた歌があったことを忘れないでほしい。
そして、これから先の未来も、自分自身で希望に変えていける気がする。
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