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26歳になったばかりの僕がJuice=Juiceの『25歳永遠説』を語りたい。

25歳、それは不思議な年齢だ。誰かが25までには結婚するだとか、25歳には、人生の夢を叶えたいとか、不思議と20代の節目にしがちな年齢だ。それは、ちょうど20代の真ん中であたるし、大学を卒業して、新卒で会社に勤めれば、ちょうど3年目、嫌なことも、仕事の喜びも、やっと理解してきたころ。

なんとなく、大人ってこんな感じだと理解してきて、あの頃より、随分前に進んだような、それでいて、純粋だったころに、少しの懐かしさも感じる。そんな25歳は永遠には続かない。

25歳が終わって、26歳になった1日目が終わろうとする夜。そんな日だからこそ語りたい、ハロープロジェクトの名曲。Juice=Juiceの『25歳永遠説』について書いてみる。

そもそも、25歳永遠説ってなに?と、ハロプロに詳しくない人は感じるだろう。そして、妙に語呂のいい響きが25歳永遠説、これ、ハロプロファンには有名な25歳定年説からもじったワードだ。

ハロープロジェクトにおいて25歳は、1つの人生の節目になる。人気のあるメンバーも25歳になる前か長くても25歳のうちに、ほとんどの、メンバーが卒業を発表して、グループから去ることが多いことから、ハロープロジェクトのアイドルは、25歳で定年するという説。これが25歳定年説とインターネットの世界やファンの間では有名な話となっている。

例えば、25歳でグループを卒業したメンバーは

モーニング娘。の道重さゆみ。Juice=Juiceの宮崎由加などが、定年説を覆すことなく卒業している。その他にも、和田彩花や飯窪春菜などが24歳と、やはり卒業している。

そんな、彼女たちの永遠には続くことのない、アイドルとしての、泡沫性、と、卒業してなお、ファンたちから、永遠の思い出として、心のステージで歌い続ける不滅性、その2つの思いと、人生の明日へと、続いていく限りない未来性を歌ったのが、Juice=Juiceの宮崎由加の卒業ソングであり、児玉雨子、渾身の作詞曲、『25歳永遠説』について語りたい。

地元の子ママになった
あの子は転職中
うれしくて はーぁ せつないわ
ちょっと誘いづらい
眠れないほどの恋して
にきびを作ったこと
痛い思い ちょっとしたけれど
色んなこと許せてきた
太陽を覆う雲は
この街のため息
後悔は「あーあ」でいいじゃない
数えるものじゃない
さみしさを知ってゆくほど
馴染んできた笑顔
綺麗事でもほんとうのこと
あざとい計算じゃないよ

この曲の、1番の魅力はある意味、Aメロ、Bメロ部分に集約されているような、気がする。25歳になって、ふと周りを見渡すと、結婚した会社の同期や、インスタにアップされる、幸せそうなストーリー。人生を更により良くするために、社会に戦い続けることを、選んだ友人、タイムラインには、自分の人生とは程遠い、明るさに満ちている。

こんなはずじゃなかったのになと、思いながら、それでも、人生という自分だけの教科書が多くのことの受け入れ体制を整わせる。納得のいかない、上司の発言も、告白してきたくせに、あなたとの未来は見えないと去っていた恋人も、多くのことを、許して、当たり前のような朝を迎える。

目が覚めたら、思わず、ため息が出る。でも、まぁいいか、何度も繰り返した「あーあ」という魔法の呪文は、あっさりと、自分自身を、次の一歩へと、歩ませる。天気予報は曇のち雨、お気に入りの折りたたみ傘と、ウィンドブレーカーを羽織る。いつからか、涙を流す日々より、笑うことが増えてきた25歳。それは、計算でもなくて、人生が教えてくれた、答えだったりする。

25歳永遠説
自由を知っている
次の季節がもう来るよ
どんなもの着よう
多く足らない経験則
叶えた夢も
果たせなかった約束も
もし正解じゃなくても
25歳永遠説
何でもできそう
背伸びのヒールに慣れてから
人生が始まった
「魅力いっぱい もう困っちゃう」
なんて笑っていよう
どんな時もなんとかなった
なんとかして来られたじゃん
昨日 今日 明日もそう明後日も
うまくいくよ わたしなら

社会人になって、3年目、意外と楽しいもんだな、そんなことも思うようになった、あの頃は、とにかく、自由が欲しくて、終電まで飲み明かしたり、なんなら、それを通り越して、朝まで、カラオケで叫んだり、そんな日々を繰り返してるうちに、春になって、また、夏が来る。

昔、付き合ってた恋人と、来年も、この花火を2人で見ようと約束してたことを思い出しながら、1人で観る花火、そういや、2人おそろいのマフラー、どこに置いてったけ、なんて思ってるうちに、やってくる冬。コート姿が好きと言ってくれた、あの日と同じ格好で、今日も歩いている。

あのときは、人生が終わったなんて、思いながら、これから先の40年に絶望していたけど、プロ野球選手にも、インフルエンサーにも、なれなかったけれど、案外、自分の人生悪くない。こんな日々も、永遠に続けばいいのに、そう思っていたけれど、人生には壁も多い。

でも、なんとかなる、なんとかして来られたじゃん。うまくいくよ、きっと明日も、そう明後日も。

そんなふうに、思えるこの名曲は、社会という荒波にも、慣れて、信頼できる上司と、恋をする余裕も芽生えた、25歳だった自分に、強烈に突き刺さる。

残念なことに、多くのことを、許して、前に進み、楽しさと、辛さに、折り合いをつけていた25歳は、突然の辞令で、一気に急展開を迎えた。

周りを見渡すと、幸せそうな奴も何かを抱えているし、必死だった奴は、まだ必死に生きている。

この歌を好きになったとき、自分はちょうど25歳で、宮崎由加は、もう卒業していた。もっと早くに、Juice=Juiceに出会っていれば、とも思うし、あのときだからこそ、Juice=Juiceを好きになったような気もする。

なかなか、うまく行かない日々に、楽しかった25歳を思い出す。結婚したかった君とのお別れも25歳。年下だった君が25歳になるのは、まだまだ先のことだ。きっと大変なこともあると思うけれど、頑張って、としか言いようがない。で、もしよければ、この歌を聞いてみてほしい、きっと響くと思うから。

アイドルソングは、ときに、歌い手や受け手を超えて、特異なものへと変化することがある。永遠なんて言葉は、存在してなくて、実際に永遠など、あるわけが、ないのだから、とはいえ、彼女たちが、アイドルとして歩んだ日々も、自分が自分として歩んだ日々も、どこかに、永遠なんていう響きに憧れてしまうのは、間違いない。

そんな、名曲『25歳永遠説』はこれから先も、ずっと、永遠にハロープロジェクトの数多い、楽曲の中でも、強烈に輝き続けるに違いない。

26歳になって最初の1日が終わった、明日もきっと、なんとかできる。これから何度だって、なんとかしてやる。なんでもできる。

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