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くそこん2 空想コンドーム

介護の仕事に就いたとき、利用者一人ひとりを愛そうと思った。
彼らの人生の登場人物として、心の一部を占めるものとして、できる限りのことをしたいと思った。

利用者のおじいさんおばあさんからは「女の人みたいな手をしている」「お前の手は金がとれる」「指に毛が生えているのね」など妙に手について褒められることが多かった。
さりげなく脈をとったり体温の変化を感じたりする目的で手を握ることが多かったからだろうか。

一般的に就活や面接はお見合いのようなものと喩えられる。ならば応募書類の志望動機なんかはラブレターだ。
〝御社だけ〟とか〝御社が第一志望です〟とか歯の浮くような台詞を言わざるを得ない。
採用側もそれがおべっかだとわかっているだろうに。
嘘をつくのが前提で、好きでもない人に告白しまくるのって軽薄で評価を下げそうなのだけど、チャラ男ほどいい会社に行くのだとしたら、むしろそれくらい杜撰に乱暴に愛せる人のほうが雇用する側にとっては需要があるのだと思う。
杜撰に乱暴に愛してくる相手なら、杜撰に乱暴に使いつぶせるし。愛の中にも暴力性はある。
ここでどうしても働きたいと愛した職場から「お前はいらない」と言われたら相当つらいだろうと想像する。
でも恋人じゃないんだから〝あなたでなければ駄目なんです〟とはならない。
むしろそんなに愛が重い従業員は雇う側からしたら扱いずらいだろうなあ。

今私が関わっている利用者にはコロッケが嫌いな人がいる。モノマネ芸人のほうではなく。
ほくほくしたコロッケですら嫌いという人がいるのだから万人受けを目指し誰からも嫌われないなんてこと不可能だと思った。

〝俺が抜けても仕事は回る〟くらいの代替可能性というか、誰でもできるレベルのマニュアルや手順書を作る必要がある。
狐さんの言うところの〝ジェイルオルタナティブ〟ですね。
その人がいないとできない仕事ってのはつまり、あるシェフが非番だと作れないメニューがあるレストランということで、そんな気まぐれな一流店でなくどこにでもあるファミレスやファストフード的にサービスを提供するのであれば尚のことマニュアルが重要になる。

働きながら実務者研修を経て、私の書いた手順書はクラスメイトに「コピーとらせて!」とせがまれ結果的に全員が所持している程度には評判をいただいていた。
マニュアルはないと言いがちだけど、そこに落とし込めるレベルでのアセスメントや業務理解が足りていない場合がある。
もちろん業務時間の中で割けるリソースにも限界はあるから、他の何かをあきらめる選択を強いられるかもしれないが。
その点セブンイレブンのマニュアルはすごかったなあ、と改めて思います。やはり大手の持っているノウハウは見習うべきものがある。

最初に示された通り、入浴介助が本当に難しかった。
人員の不足もあり懇切丁寧に教わることができる環境ではなかったこと以上に、羞恥心への配慮という難問が待ち受けていた。
そりゃ男の人に裸見られたくないわって私でも思う。
なんだか風俗で働いているような自意識まで芽生えてきて、おぼろげながら〝主を助けて進んで罰を受けるまでが奴隷の義務かな〟と考えるに至っていた。
初任者研修を受ける中で講師に薦められてフランクルの『夜と霧』を読んでおいて本当に良かったと思った。
読んでなかったらポッキリ心折れてたかもしれない。

そうやって葛藤している姿を知っていたからか、ボランティアの頃にあこがれて、入職してからコーヒーを奢ってくれた先輩が「入所介護の男性では雨琴くんが一番やさしいと思う」と言ってくれた。

あこがれの人たちとともに働ける喜びが日々の励みだった。
PTさんや事務や栄養部の方とも相変わらず交流していた。
連絡先を交換して、悩み事を聞いてもらえるようになった。
食事とカラオケに誘われ、どうしていいかわからなくなった。
自分より年上の人と二人きりで外食なんてヒキニートの人生経験にない。
とりあえずコンドームを買って鞄の中に入れておいた。
残念ながら使用するために買ったわけではない。
〝下心があるのは私のほうだった〟という物的アリバイがつけば、どういう風に展開しても私を悪役にして相手のメンツを守れると思ったから。

そうして社内恋愛は始まり、初任給をもらうより先に交際を始めた。
実家を出て同棲を始めるために物件を見始めた頃、コーヒーを奢ってくれた先輩が退職した。
まだまだ教えてほしいことがたくさんあった。

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