くだらないことで笑える心を持ちたい(「う○ち」を例に真面目に考える)
こんなテーマですが、大事なことだと思うので記事にしてみました!💡
よければお付き合いください😄
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心友みいちゃろの記事『う○ち。』を読んで思った。
世の中は、もっと笑いに満ちるべきだと。
例えばちょっとした言い間違いとか、うっかりミスとか。
そういう”くだらないこと”で笑えること。
それが必要であり大切。
残念ながら我が家では、そういったことは切り捨てられてきた。
「くだらない、しょーもない」という言葉だけで片付けられがちで、
ジョーダンも言えない。そんな家庭では、そうそう笑いは起こらない。
だからこそ、自分もくだらないことで笑えるようになりたいし、そんなふうに笑える家庭を増やしたいと思う。
では、その”くだらないこと”の代表例とは何だろう?
それは記事のタイトル通り、「う〇ち」ではないだろうか。
少年時代に、ただ「それ」を目にしただけで笑えていた人もおられるだろう。今こそ当時のような童心を取り戻し、笑顔を広げなくては!
そこで、「う〇ち」で笑えるようにするにはどうすればいいか、考えてみようと思う。世の中には「う〇ち」で笑える人とそうでない人がいる。笑えるようになるためには、なんらかの条件があるはずだ。それはなんだろう?
・・・・・・快便?
そう、その条件の1つは、”お通じのスムーズさ”ではないだろうか。お通じの状態によって、「う〇ち」に対するイメージが違ってくるはずだからだ。
たとえば、普段から快便な人ならば、「う〇ち」と聞いたときに、それを前向きに受け取りやすいのではないだろうか。「それは自分をスッキリさせてくれるものだ」という具合に。そのように肯定的に受け取ることができれば、「う〇ち」と聞いて「ぷっ」と笑いやすくなるのではないか。
対して、便秘の人ならばどうだろう?
「う〇ち」に対して、良い印象は抱きにくいのではないだろうか?むしろ「自分を悩ませるもの、あるいは攻略すべき敵」として、無意識の内にすり込まれてしまっているかもしれない。お手洗いに行くときに、まるで決闘に赴くような覚悟を決める必要があるくらい悩んでいる人なら、なおさらである。ちなみに、私も幼いころからずっと悩まされている側の人間なので、「う〇ち」単体で笑うのは難しい。私以外にもそんな人々が相当数いるだろう。しかし「う〇ち」1つで笑えるようになれたなら、「う〇ち」1つ分、人生が明るくなるはずだ。
どうだろう。以上の考察を踏まえると、これは検証してみる価値がある仮説ではないだろうか。題して、
「快便なら『う〇ち』と聞いて笑える説」だ。
これは「う〇ち」に限った話ではないと思う。
お笑い、バラエティ番組、子供の遊び・・・
今まで「くだらない」と切り捨ててきたことにもう一度目を向けて、なぜそう感じたのかを考えてみる。すると、今まで自分でも気づかなった理由にたどり着く。それが、息苦しい価値観から自分を解放する手がかりにつながるかもしれない。そうして自分が笑える”くだらないこと”を1つずつ増やしていけたら、そのぶん人生お得になると思うのだ。
・・・と、いい話風にしめくくってみた😁
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