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あなたは何人?〜迷惑かけちゃう私の思考変換術〜

海外はドイツ、中国、オーストラリアしか行った経験がありませんが、
オーストラリアに行った時のみんなの当たり前の発言が
日本のとある特徴に気づかせてくれました。

「君は何人なの?」

日本じゃほとんど聞かないこの発言
確かに出会う人、出会う人、多国籍すぎて何人かわからない。笑
しかもハーフとかもめっちゃ多い。

日本だと明らかに顔や肌や髪や目の色の特徴が日本人じゃない時にしか
「何人なの?」
なんて聞かないなぁとハッとしたわけです。

オーストラリアと比べれば日本では
同じ国の人が前提で、同じ言語で話すのが前提で
極端なこと言えば”同じ常識”を持った前提で人間を見てる傾向にあるな、と。

違う常識を持ったことが常識の国があるのだと、
当たり前なのだけど自覚していないことに気づいたのです。

インドでは「生きていれば人に迷惑をかけるのだから
迷惑をかけられた時に助けてあげなさい、許してあげなさい」
そんな教えがあると聞いたことがあります。(真偽不明)

対して日本は「人に迷惑をかけてはいけないよ」という教えが多数かなと。

私個人は、人に迷惑書けないって無理じゃんって思ってて、
人に迷惑をかけてはいけないって教えを真摯に受け止めれば受け止めるほど
罪悪感とか自己否定とか無価値観とか無能感とか
そうゆうので苦しくなっちゃうんじゃないのかなぁと思うのです。

何人?って聞くのと同じで、何語を話す?って聞くのと同じで
人が”嫌なこと” ”迷惑をかけられた”なんて思うことは様々で
想定だけで人を不快にしない、というのは
こちら側で勝手に何人か、何語を話すか、を
勝手に想像しているにすぎないんじゃないでしょうか。

「りんごあげたら喜ぶと思ったのに嫌いだった」
「洗い物してあげたら触らないで欲しかったと言われた」
「アメリカ人と思ってたのにフランス人だった」
「フランス語喋ると思ってたのにヒンドゥー語喋ってた」
「掃除を後でしようと思ってたらなんでしないのって怒られた」
並べると「え?」って感じかもしれないけど
これらの解決策は一緒だと感じてて

人のすれ違いって
「先に聞けばよかったのでは?」
「違ったら修正すれば良いのでは?」
とかそんなんで片付く気はしてるんですよね。
怒らなくていい悲しまなくていい
でも怒っても悲しんでも修正すればいい。

重く考えなくてはならないことと
傷ついて当たり前のこと
辛くて当たり前のこと
と勝手に受け止めているけれども

果たして本当に悩まなくては、苦しまなくては、
傷つかなくては、いけないことなのだろうか。

そんなこと考えた時に、
勘違いしちゃっただけだね
コミュニケーション不足だったね
次から分かったから大丈夫だね
知らないことが知れてよかった
気づけてよかった
もっと良くなるね

そんなふうに思えたらいいなぁと。
ちょっと思考を変えてみただけで
悩みが減ったり苦手なことや人が減ったり
引いては自分を責めなくて良くなったり。

そんな思考パズルみたいにして
どんなに努力したって
人に迷惑をかけてしまう自分を
今日も少し肯定したりなどしている。

人を許しただけ
自分を許せるようになるなぁと
自分を許しただけ
人を許せるようになるなぁと、
実感する毎日です。




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