春めく時、京の雨に濡れて花咲く
絶えざる傷と光を知る 果てなき時の中
言葉は此処にある 繋がる記憶と交わり
夢、色褪せぬ日々は巡り往き、還る日を待つ
問い立てるまま

春めく時、京の雨に濡れて煌めいた
言葉は此処にある 重なる理由は解けて
夢、覚め止まぬ熱に焼かれては、彷徨い
唯、生かされた僅かな命に
夢は覚めない 煌めくあの日から

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10年ぶりに曲を書いた。


19歳になったばかりの頃、初めて京都を訪れた。
どこかの寺か、城の庭に、梅の花が咲いていた。冷たい雨が降る3月だった。

人生には、その最後に必ず、決して逃れることのできない死が待っている。だから、生きるということには、死ぬことへの恐怖が必ず伴う。
そして、例えいかなる不条理を押し付けられ、生きることがいかに苦しかろうと、死ぬことへの恐怖は、その苦悩から逃れたいという欲求を限りなく小さく感じさせるほどに、悪辣である。

したがって、克服することの端緒すら見つけられない過酷な苦悩に直面したときには、訪れたその不条理が消え去るまで、ただ地面に這いつくばって耐え忍ぶしかない。


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肉体的な苦痛の無い限りにおいて、あらゆる苦悩は、精神世界における出来事である。
そして、死ぬことの恐怖が折り紙つきなのだとすると、その恐怖を上回らない精神世界の苦悩は、無意味なのである。

なぜなら、精神世界において、人間は自由だからである。
死ぬよりも先に、その自由を行使したい。


そのとき私は、一瞬の閃きのようなものを感じた。
雨に濡れる梅の花が、あたかも夢のように、記憶に現れるたびに、あの日、脳裏を過ぎった、閃光のような煌めきを思い出す。



■Youtube
https://www.youtube.com/watch?v=iczxMd0sAAk&feature=youtu.be

■SoundCloud
https://soundcloud.com/ukei4/dream?si=3684b783344b4d588c01f970b35c0cf1&utm_source=clipboard&utm_medium=text&utm_campaign=social_sharing

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