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South West Coast path #4 Tyneham 時間が止まった村

今回は第2次世界大戦中に、村の住民の全員が去り、戦争が終わればまた戻るはずだったがついに戻ることがなかったTynehamという村を紹介します。


ご注意

この村はイギリス陸軍の火力演習場の内部にあり、演習期間中の一般人の立ち入りは制限されています。土日は一般開放されることが多いのですが、そうでない場合もあります。立ち入りできる時期(access time)ついて以下のリンクまたは過去のNote記事をご参照ください。

Tyneham村が無人になった経緯

第2次世界大戦中の1943年にイギリス陸軍がトレーニングのために接収した場所で村ごと住民に出て行ってもらったものです。来るべきD-Dayに備えてここで訓練をしていたということでしょう。しかし、戦争が終わったと思えばすぐに冷戦が始まってしまい引き続き陸軍の演習場として使われることに。この村の住民はついに帰ることはありませんでした。1943年で時間が止まってしまったのです。

以下のBBCの記事によると、1943年の11月16日、突然28日以内に村から出て行ってくれと政府のお達しが出たようです。

On 16 November 1943, an evacuation notice was issued to all households in Tyneham, an excerpt of which reads: "The Army must have an area of land particularly suited to their special needs and in which they can use live shells." Chosen because of its small size and relative seclusion, residents of Tyneham were given just 28 days to leave.
(戦車の)実弾で訓練する広い場所が必要ということで村ごと接収されてしまったようですね。

昔の農家の家

村に残された大きな農家の家を見学します。

昔の写真

農家の建屋つまり納屋(Barn)です。農機具などが置かれています。


農家の小屋(Barn)

とても大きな扉です。

農家の小屋(Barn)

下の写真の小屋は次の年に蒔く種を保管するための小屋のようです。小屋を支える独特の足の形はげっ歯目(Rodentis)つまりネズミに種を食べられないように侵入を防ぐもののようですね。

小屋
農業用の台車
農機具いろいろ
建屋

テレビや動画配信などは当時なかったので村のエンターテイメントとしてミニ劇場を納屋の中でやっていたようです。今でこそ録画や再生が簡単にできますが、そのようなものがなかった時代はリアルで人が演じる劇がエンターテイメントだったわけです。

村のシアター
村のシアター再現

昔の学校

小学校でしょうか。村に小さな学校がありました。10ー20人くらいしか生徒が入れない大きさです。

学校の写真


教室
図書
生徒のコート掛け?帽子掛け?
発音の練習?

ピアノもありました。

Challen and Sonというピアノメーカーがかつてのイギリスにあったようですね。


英語の練習?

この学校のより詳しい解説は以下のリンクにあります。雨風があると遠くの学校へは歩いていけないということで作られたようですね。たしかに海岸沿いは雨風があると身動きできなくなりますね。

昔の教会

村には教会もあります。

教会の外観
教会の内部
教会の内部
教会の内部

イギリスでは第1次世界大戦の被害が甚大で多数の犠牲者がどこの村でも出ました。ここに限らず、どこの村にいっても戦死者に対してこのようなメモリアルが残されています。

教会の内部
教会の中のステンドグラス

教会の出口のドアに張り紙(上の写真の中央左にあるドア)についての説明がありました。ズームすると以下になります。

教会のドアの張り紙

これは住民が戦争が終われば返ってくるつもりで、教会のドアに貼って退去したそうです

当時張り紙を張ったという手書きの文字はなんて書いてあるのでしょうか。
筆記体、頑張って読んでみます。

Please treat the church and houses with care.
We have given up our homes, where many of us have lives for generations, to help win the war to keep men free.
We will return one day and thank you for treating the village kindly.
教会と家を丁寧に扱ってください。
戦争に勝って人々の自由を保つために、我々は何世代にもわたって住んでいた家を手放すことにしました。
またいつか戻ってきます。この村を丁寧に扱っていただきありがとう。

助動詞のwillは単に時制が未来形なだけでなく、かならず戻ってくるという意思が伝わりますね。でもone day(いつか)は結局来なかったのです。

終わりに

英語でこの村の歴史を表現すると、Mixed feeling(複雑な思い)というか、むしろPoignant(痛ましい)という感じですね。