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人生の分岐点には必ず勇気が試されるんだ(後編)

僕は19歳になった。
あの子の存在を思い出すことはほとんどなくなっていた。

おそらく16歳の時に初めての彼女ができて、大事に大事にしまってあった懐かしの招待状だった手紙を捨ててしまったからだろう。
あの自宅に招待された時の手紙には、住所や連絡先が書いてあったので記録を残さずに捨てるのはかなり勇気のいることだった。

しかし、僕は初めてできた彼女に悪いと思って謎の男気を出して捨てた。
マジで後悔しかない。その彼女にすぐ振られたし。
それから、何人かお付き合いをさせてもらった人がいたが、長続きはしなかった。

独り身で過ごす19歳の日々。
家庭環境はあまりよろしくない状況で、少し心は荒んでいた。
でも不良になる勇気もないので、バイトしてアニメ見て、バイトして空見て散歩して、みたいなことを繰り返す日常だった。

そしてある予告ムービー動画と出会う。
それが「秒速5センチメートル」という映画の予告ムービーだった。
切ないピアノのBGMに一瞬で目を奪われる美しい背景。
なんだこれは?となってもう一度再生する。

そして、僕は自分でも気づかないくらい自然に泣いていた。

たった15秒の動画だ。
でも、たった15秒で十分すぎるくらい、僕の思い出とのシンクロ率は100%だった。
動画を見るその直前まで本当に忘れていたくらいなのに、あの時感じていた、当時のままの切なさがドドドドドと地響きを鳴らすように押し寄せてきた。

その15秒のCMの破壊力はとんでもないもので、少し気持ちが落ち着いた次の日も泣けた。
もうパブロフの犬のように、動画が流れたら泣く、そういう風に脳内がプログラムされたように涙を流し続けた。

「どれほどの速さで生きれば君にまた会えるのか」

こんなカッコいいセリフのような言葉ではなかったけれど、僕も全く同じことを思っていた。
子供でいることの不甲斐なさ、大人だったら会える距離なのに子供だから別れなければならないという事実。そういう理不尽さを胸に抱きながら大人への強烈な憧れを持っていたことは確かだ。

映画の男主人公の行動も僕にとっては衝撃的だった。
僕がせっかく痛い行動に見えるから思い出として綺麗にしまっておいたのにも関わらず、男主人公は思い出の女の子の姿を恥ずかしげもなく追っているではないか。
絵が綺麗で音楽に透明感があるので、ちょっぴり切ない男の子の未練と見ることもできるが僕は騙されないぞ。僕には心に囚われた呪縛のようにも見えた。経験者だから分かるんだ。

それにしてもどうしてくれるんだ。
せっかく綺麗な思い出のまま忘れかけていたのに。
どうして思い出させるんだ。

当時、その映画は三話構成のうちの第一話しか公開されていなかった。だから、転校によって離れ離れになってしまった二人の行く末は分からない。
しかし、僕の方は僕の行動次第で終止符を打つことができる。

これはもう白黒はっきりつけるしかないと思った。
まるでホワイトデーに告白したあの日のように行き当たりばったり少年に戻ったような行動力を発揮した。

まず僕は小学校の友人にメールを出す。
といってもしばらく連絡をとっていない旧友だ。

その子に聞いたのは、思い出のあの子の家に遊びに行った男メンバーのアドレスだ。すぐに返信が来て、なんやかんや説明して「また今度会おうなー」くらいのやりとりを終える。

目的の男メンバーのアドレスを入手した僕はすぐさまメールを打つ。
その内容にはあの子の家に遊びに行った思い出も踏まえて、どうにかしてあの子と連絡を取りたいんだ、という熱量を込めて送った。
男メンバーはえらく感動したみたいで、メチャクチャ応援してくれた。
しかし、目的のあの子のアドレスは知らないらしく、その代わりに女メンバーのアドレスなら知っている、と言ってすぐに教えてくれた。

僕は男メンバーに感謝を告げて女メンバーに連絡を取る。
同じように連絡を取りたい旨を伝えた。今度の内容は、会いたい、という気持ちよりも「あの時の決着をつけたい」というような内容にした。
女メンバーもメチャクチャ応援してくれた。
やはり、当時両想いだったという実績はでかい。

そしてなんと、その女メンバーは思い出のあの子のアドレスを知っていたのだ。

そしてすぐにメールアドレスが送られてきた。
僕はしばらくメールアドレスから目が離せなかった。

当時、遥か遠い世界の住人だと感じていたあの子と話せる状況がすぐ目の前にある。あんなに願っても願っても届かなかったのに、こんなに簡単に連絡が取れるのか。

結局のところ、僕に足りなかったのは勇気と行動だったのだ。そりゃあ願うだけじゃ、どんなに願う想いは強くても何も掴むことはできないよな。
そんなことを思った。

今すぐにでもメッセージを送ることができるが、僕は女メンバーにあの子の家の住所を教えて欲しいとメールを送った。
僕はただ連絡が取りたいわけではなかった。本気で決着をつけたかったのだ。

だから、あの時自分が傷つきたくないがために送れなかった手紙を送りたかった。そういう想いもあって手紙を送るために住所が知りたかったのだ。
女メンバーは快く住所を送ってくれた。

あとは手紙を書いて、僕のアドレスを載せる。手紙は飽くまで僕の自己満足なので送ったらメールの方が良いに決まってる。
その後、メールでやり取りをしながら決着をつけるために確認したいことがあった。

確認したいこととは、「今は君は幸せかい?」という状況確認だ。
言い換えれば
「い、今、今げ、現在かか、か彼氏とか、いたりいなかったりしちゃったりしないのかなぁ?なんて聞いちゃってりしてぇ、アハハハ⋯⋯」
という意味でもある。

僕は19年間生きてきた僕の中の紳士を全力で出し切って、手紙を書き終えた。内容はあっさりと簡潔にまとめた。
覚えてますか?と謙虚な姿勢を見せ、ふと思い出して何してるのか単純に気になったこと、20歳前で同窓会とかはあるだろうけど、君は早くに転校してしまったから話す機会もないかもしれないという言い訳、懐かしさついでにちょっとメールで話せたら楽しそうだと思ってさ、という気軽さのフォローを付け加えた内容だったと思う。

何回も読み返して、まぁ悪くないだろう、と落ち着いたフリをして手紙を封筒に入れようとしたが、糊をつける手は震えていた。
近くのポストまで走って行き、高まる期待を無理矢理押さえつけながら手紙を投函した。


返事はすぐに来た。しばらく来ないことを覚悟したが、思いのほかあっけなく

「懐かしいねぇ。覚えてるよー」

というような内容のメールだった。

僕は本当に連絡が取れたことに感慨に耽りながらも、送る内容を真剣に考えて会話を続けようと頑張った。
小学校時代の人と連絡はとっているのか、今何をやっているのか、彼女が飼っている犬の話など。言葉の一つ一つを取りこぼさないように、フンフン鼻を鳴らして携帯の画面を見つめて頭をフル回転させた。
僕の頭は「どうやったら彼氏の存在を自然に聞き出せるのか?」そんなことばかりを考えていた。

今思えば相手のことを何も考えていない自分よがりの最低の行動だったと思う。
「おい、クソつまんねぇ男だな!」
と手を振りかざして思いっきり縦にビンタをかましてやりたい。

そんな男の相手などすぐにしたくなくなるのは当然だ。
返信に時間がかかってるな、と察したあたりで僕はいてもたってもいられなくなり、ストレートに彼氏の存在を聞くことにした。
「今って付き合ってる人とかいるの?」言葉は覚えていないが、もうシンプルにこんな感じだったと思う。

「いるよ。中学からずっと長く付き合ってる人」

あっけない終わりだった。
その返事を見て固まった時間は、意外にも少しだけだった。心の奥底では予想していたのかもしれない。
逆に少し笑いも込み上げてきた。
彼氏がいるどころか、中学から付き合ってるってそれ⋯⋯。
それもう、結婚を考えていてもおかしくないじゃん。
そう思った。

そうなってくると、昔好きだった奴の存在とかむしろ邪魔なんじゃないか?邪魔と思われるかどうかは分からないが、邪魔になる可能性は出てきた。
ここで、「昔、僕たち両思いだったよね?ハァハァ」とか「ずっと忘れられなかった。ハァハァ」とか言い出したら、これはもう犯罪臭のする出来事になる。
僕だって墓場に持っていかなきゃいけないほどイタいエピソードを作りたくないので、踏み込むボーダーラインには気をつけることはできる。

僕から彼女に期待していたことはほんのわずかだ。
もちろん現在フリーだったら食事の一つや二つ誘っていたとは思う。断られていたかもしれないけれど。
ただ彼氏がいたとしても、これを機にたまーに連絡を取る友達になって、いつかもっと大人になった時に、思い出話として楽しく話せる未来があってもいいよな、そのくらいの期待だ。
だから、連絡を取ること自体が邪魔になるかもしれない、とは考えてもみなかった。

そう自覚した途端、自分の行動や想いがとてつもなく気持ちが悪いのではないか?という不安を抱くようにもなった。
自分が理性を働かせたボーダーラインの"つもり"はあっても、側から見た印象は関係ない。ただの気持ち悪い未練男の暴走に見えるかもしれない。
急に客観的に自分を見れるようになって、「ああ、これで終わってよかったんだ。僕は決着をつけられてよかったんだ」と心底思った。

程なくして、彼女とのメールのやり取りはすぐに終わった。
とにかく、僕の消化不良だった思い出の恋は完璧なるKO負けで決着がついた。12Rまでもつれ込んだが、最終ラウンド開始2秒でKOされた感じだ。

僕はフッと笑って空を見上げた。
あの時のように胸はもう痛まなかった。
むしろ胸はスカッとしていた。本当の意味で思い出にできたのだろう。

その後、秒速5センチメートルは無事公開を迎えた。
僕はチケットが発売した瞬間に予約をし、いそいそと足を運んだ。渋谷のシネマライズという今はないミニシアターが上映場所だった。

僕は決着をつけたぞ。
男主人公よ、君はどうだ?

僕はかつて心を揺さぶりに揺さぶってくれた相手に、上から目線で問いかけながら視聴をした。
先行公開ですでに見ていた第一話が終わる。男主人公は未練という呪いにかけられたままだ。

そして第二話、第三話と主に男主人公視点で展開していく。
僕は思いっきり泣く予定で持参したタオルを握りしめて映画のスクリーンを見つめ続けた。
そして、映画を見終わった。
映画の最後、男主人公は僕と同じように空を見上げた。どちらの結末で空を見上げたかは書かないでおく。
結局、僕の目から涙が落ちることはなかった。

ちなみにDVDは販売開始して即購入しました。
秒速5センチメートルは今でも僕にとって特別で大切な映画です。
新海誠監督、僕に決着をつけさせてくれて、ありがとうございました。

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