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研究の橋渡し

カナダ Queen's 大学リサーチコーディネーター
春日翔子

現在の仕事内容

カナダのQueen’s大学でDepartment of Electrical and Computer Engineeringの約35名のファカルティの研究を、計画から完了・実用化段階まで多面的に支援しています。具体的には、研究費の選択と応募、研究費獲得後の資金管理や報告書作成、産学連携のパートナーサーチや資金のコーディネート、共同研究契約・知財・秘密保持契約などのプロセスのサポート、アウトリーチ・広報に携わっています。

いつ頃今の職業につきたいと思ったか

両親ともに理系の研究者という家庭に育ったので、アカデミアの世界は常に身近で大学院に進学するのは自然な流れでした。ただ、大学院時代から漠然と将来は自分自身の研究を続けるのではなく、研究のコーディネーターとして異分野の研究者や産学の橋渡し、政策や学術研究の制度設計を通じた科学の発展やアウトリーチに貢献したいと考えていました。

学生時代はファーストフードやスポーツショップ、ホテルでのアルバイトやサッカーチームでのボランティアに打ち込みました。その経験を通じて、異なる職業、年齢、価値観の人と交流する楽しさ、お客さんのニーズをくみ取りより良いサービスを模索する面白さ、シフトや予算をマネジメントするスキルを学んだ影響も大きいと思います。

 博士卒業前に母から、研究を俯瞰的な立場でコーディネートし、自分の提案に対して研究者に耳を傾けてもらうためには、まず一度しっかり研究者としてアカデミアの世界を経験し、その経験をアピールできるだけの業績を積む必要があるとアドバイスされました。そのため数年は研究者としての経験を積むことにしました。

そして、日本での6年間の助教時代にリサーチアドミニストレーターという職種があることを知り、その仕事内容が自分のやりたかった研究のコーディネートと近かったため興味を持ちました。ただ、海外と比べると日本のリサーチアドミニストレーターはまだ人数も少なく、雇用も不安定、キャリアアップの機会も乏しいことから、海外でそのキャリアをスタートしたいと思うようになりました。

 現在は、カナダのQueen’s大学でDepartment of Electrical and Computer Engineeringのリサーチ・アドミニストレーター(コーディネーター)として働いています。結果として母のアドバイスは正しく、大学内のほかのリサーチ・アドミニストレーターも博士号か修士号を持っており、ポスドクの経験がある人がほとんどです。研究者の視点を理解しつつ応募する研究費の選択や申請内容にアドバイスができることは大きな強みだと感じています。また、必要条件ではなくともフルタイムでの研究経験があると研究者からの信頼も得やすいのではないかと思います。

今までの経緯

学部時代はスポーツ科学に興味があり、教育学部の身体教育学コースに進学しました。学部時代は講義形式が多かったため主体的に調査や研究を経験したいと思い、大学院に進学することにしました。大学院では認知神経科学・計算論神経科学の手法を用いて、人の運動制御・運動学習のメカニズムを調べる研究に携わりました。

修士終了後に民間企業への就職も考えましたが、行動実験やロボットの制御プログラミング、解析などが面白く博士課程への進学を迷っていたところ、幸いにも日本学術振興会特別研究員に採択されたため大学に残ることに決めました。素晴らしい恩師と研究室のメンバーに恵まれ、好きな研究に集中できるかけがえのない大学院生活を過ごしました。約10年後にポスドク先となる、Queen’s大学のScott教授と出会い、将来はカナダに行きたいという夢を持ったのもこの博士課程時代です。

 博士課程修了後は慶應大学の理工学部と医学部で助教として働きました。海外の学会に参加する機会も増え、国際的な人脈が広がったのはとても楽しい経験でした。念願だったカナダへの渡航を実現するため日本学術振興会の海外特別研究員に3回挑戦し、博士号取得後の年数制限のラストチャンスとなった3回目の面接で採用されました。

 カナダで3年間取り組んだ研究テーマは、ヒトの反射的な運動制御に欠かせない多感覚統合のメカニズムを明らかにするというもので、学生時代から苦手意識を持っていたシミュレーションや数理モデルに挑戦し自信がつきました。スーパーバイザーであるScott教授には、ポスドクを始めた早い時点から自分は将来PIになるつもりはないことを話し、就職活動の状況もすべて相談していました。キャリアパスについてオープンな会話ができ、理解のあるスーパーバイザーに出会えたことは本当に幸運でした。

 私生活ではカナダに来た翌年にPermanent Residency(永住権)を取得、日本でも持っていなかった運転免許も苦労の末取得し(機械音痴)、数年かけてカナダに長期滞在して仕事を続ける土台を築いていきました。キングストンという比較的小さな大学街に住んでおり、パートナーとたくさんの良い友人にも恵まれています。

就職に成功した秘訣

カナダで就職活動をはじめるにあたっては、ネットワーキングが重要と多くの人から言われました。私のような外国人にとっては、言葉の壁や、人脈の少なさ、カジュアルなコミュニケーションスタイルに不慣れなことなど、ネットワーキングは難関の一つでした。また、日本の感覚でネットワーキング(コネ)というとあまり良い印象がなかったため、正直最初は半信半疑でした(コネはなくても人柄と経験が認められれば成功率は変わらないと思っていた)。

ただ、今となってはなぜネットワーキングが重要だと言われたのかよくわかります。ネットワーキングの始まりの多くは、就職イベントや関連分野のワークショップなどで気になる職種のスタッフや採用担当者と話す機会か、30分程度のコーヒーチャット(対面またはバーチャルでコーヒー片手に雑談するような感覚の面談)と呼ばれるものです。コーヒーチャットだけでは直接的に就職にはつながらないこともほとんどですが、興味のある職種に必要な知識や経験などについてより具体的な情報を得ることができます。また、コーヒーチャットしたタイミングでは人材の募集がなくても、自分のバックグラウンドと興味をあらかじめ相手に伝えておくことで、将来関連する職種に空きが出たときに個人的に連絡をもらう可能性も高まります。また、面接では問題解決能力を問われることが多かったため、自分が働きたい分野に潜在する問題や改善策について事前に考えるきっかけにもなりました。

企業や大学のウェブサイト、LinkedInなどで見つけた相手に、キャリアパスや業務内容についてコーヒーチャットをさせてほしいと連絡すると多くの人が快く応じてくれました。予想していなかったメリットとしては、コーヒーチャットを通してQueen’s大学内の多くの異なる部署や職種の人と知り合いになったため、就職後に業務で関わりができた際に仕事がしやすく、気軽に質問ができて助かっています。職種による違いはあると思いますが、私の仕事のように多くの人と協力する必要がある職種では、特に個人的に話をすることで生まれる信頼関係の効果を実感しています。

 ネットワーキング以外の部分では、レジュメ(履歴書)・カバーレター(志望動機)をネイティブ・スピーカーに添削してもらい、あとはとにかく量を書き続けることでスキルを磨きました。1年少しの間に40-50件は応募したと思います。インタビューについては、大学の人事部が公開しているサンプル質問集や、コーヒーチャットで知り合った先輩スタッフが教えてくれた過去の質問集があったので、事前にそれらの回答を考えて下書きしました。その文章を自分で読み上げたものを録音して、不自然なところはないか、イントネーションは聞き取りやすいかなどをチェックしました。ひたすら地道な作業の積み上げで大学受験を思い出しました。

他の進路と比べて迷ったりしたか

日本で信頼している研究者の方からポジションがあると声をかけていただいたことはあり、日本に戻って神経科学の研究を続けることも考えました。ただ、カナダのサイエンスを取り巻く環境をもっと深く知りたいという思いが強かったので、カナダでの就職活動を続けることを選択しました。就職活動中は北米の民間企業へも多く応募しました。ただ、大学という環境は馴染みが深かったため、最初のステップとしては大学で職を見つけることが第一志望でした。海外での転職というだけでも非常に大きな環境変化なので、環境変化にストレスを受けやすい私の性格から考えると少しずつパラメータ(仕事内容、職場、人間関係など)を変えて適応していくというのは良い選択だったと思います。

今の生活に満足しているか

今現在の生活は、ワークライフバランスが重要視されるカナダらしく、基本的勤務時間は規則的です。グラントや報告書の締め切り前はまれに深夜まで残業することもありますが、サービス残業という概念はないように思います。そのため日本にいた時のように仕事だけで一週間が終わるということはなく、運動したり友人と会ったりしたりする時間も十分にあります。ただ、勤務中は頻繁にメールのやり取りがあり迅速な対応を迫られることも多く、電話やオンラインミーティングも多くあります。細かい数字のチェックが必要な経理システムでの作業、グラントのガイドラインの読み込み、30ページを超える申請書のレビューなど集中力を必要とする作業も多いので、第二外国語を使うエネルギーも加わって頭の疲労感は想像以上です。

 長期的視点では、現在のポジションはパーマネントなので助教・ポスドク時代の2-3年ごとの仕事探しというプレッシャーからは解放されました。私の住むオンタリオ州では健康保険が無料で、大学で入っている福利厚生プランや年金制度もしっかりしており、その意味でも安定しています。ただ、収入やスキルアップを考えると、今後デパートメントのマネージャーとして研究以外にも教育や資金管理など包括的に学科運営を統括するポジションを目指すか、大学の中央組織であるOffice of Vice-Principal (Research)で大学全体の研究戦略に関わるポジションを目指すか、または、民間のコンサルティングファームや政府系の研究助成機関への転職も視野に入れるかもしれません。カナダでは、政府系機関で働くためには公用語であるフランス語を習得しなければいけないので、細々とPodcastなどで勉強していますがその道のりは遠そうです。

生きがいや夢は?

ライフワークとして、STEM分野で学び働く女性、および、その他すべてのマイノリティ・underrepresented groupの支援、差別やハラスメントに対する環境改革に取り組みたいと考えています。

日本にいたときの私は、研究者としても教員としても一人の人間としても、女性という役割をうまく演じることで、社会で不利益を被らず軋轢を避けることを選んでいました。セクハラを受けたことも多々ありますが、笑って受け流していました。自分が経験したことがいかに大きな問題だったか、さらに、自分が目をつぶったことで次の世代や別の女性研究者に対するハラスメントの連鎖に貢献してしまっていたということに気づいたのは、カナダに来てからです。

差別やハラスメントを当事者が当たり前だ、仕方ない、と受け入れてしまうのは、小さい頃からの教育やメディアに差別やハラスメントがアンフェアだという感覚を麻痺させるメッセージが構造的に組み込まれているからです。また、たとえ涙の出るような悔しさを感じたとしても被害者が声を上げづらい社会の風潮は非常に大きな問題です。

一年ほど前に”Picture a Scientist”というドキュメンタリー映画を観ました。アメリカでも同じような経験をしている女性研究者がまだ大勢おり、ハラスメントの被害を告発するまでに彼女たちがどれだけの苦しみと長い困難を経験したかを知り、衝撃を受けました。 この映画は研究者か否かに関わらず、ぜひ日本の皆さんにも一度観ていただき、身近な人たちとこの問題について話し合うきっかけにしてもらいたいと思います。

 カナダでは数年前から、公的研究費の応募プロセスにEquity, Diversity and Inclusion (EDI)に関する取り組みの記述が必須項目として導入されました。その項目をクリアできなければ、どれだけ研究内容が優れていても資金に採択されません。

資金プログラムの種類による違いはありますが、研究デザイン(例:研究参加者の選定にダイバーシティが考慮されているか、研究成果による将来の社会的利益にはマイノリティを含めた多様な集団が想定されているか)、研究チーム(例:共同研究者およびスタッフのメンバー構成にダイバーシティが反映されているか)、トレーニング(例:募集や採用の過程で学生やポスドクのダイバーシティをどのように促進するか、日々の研究生活でマイノリティや個別の配慮が必要なメンバーに均等な機会を与えるためにどのようなシステムを実装するか)などの各項目について、申請者にはこれまでどのような実績があり(過去の貢献)、今後どのような対策をするのか(計画)が問われます。形式的または抽象的な記述では不十分で、研究分野や研究機関に固有の問題点を挙げた上で、どのようにその障壁をクリアしようと考えているのか申請者自身の言葉で述べなければいけません。

もちろん机上の空論では仕方がありませんし、計画と実行はまた別の話です。でも、講習に参加して受動的にEDIについて聴いただけで何か良いことをした気になるのではなく、自分自身が研究を進める上で具体的に何をするか考え、言語化する機会を作るというのは非常に重要なことだと思います。

カナダの研究者もEDIについて簡単に書けるわけではなく、この項目の導入に対する不満の声を聞くこともあります。この秋の研究費応募シーズンには、私もしばしば「EDIセクションに何を書けばいいのかわからない」という研究者と一緒に具体的な方策を考えました。一方で、その研究者自身がマイノリティまたはunderrepresented groupとして過ごした経験があると、より正直な自分の言葉で具体的な記述をしやすい印象があります。私も日本では女性、カナダでは日本人というマイノリティとして生きる貴重な機会があったので、リサーチコーディネーターとしてもその経験を生かし、アカデミアの環境改善に貢献できればと考えています。



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