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なぜアフリカでのエンパワーメントなのか?

角田弥央
株式会社Darajapan 代表取締役 /TANZHON Ltd Co-Founder/
国家資格 薬剤師

 “現地住民エンパワーメント”の実現を目指して、アフリカを拠点に活動している角田弥央です。

日本生まれ、日本育ち、20歳になるまでは視野の狭い人間でしたが、自分の意志で海外に飛び立ったのをきっかけに、日本から世界へと見る視点が変わりました。現在は、タンザニアを拠点として、「アフリカと日本の架け橋に」になるべく精進しています。特に、三大感染症および”顧みられない熱帯病”が未だに深刻であり、更に人口増加により2050年には4人に1人がアフリカ人になると言われている現状から、アフリカ諸国の衛生環境を改善し、感染症による死亡率を減少させる事業を立ち上げています。街に廃棄されているごみを原料にし、新しい家庭燃料を街や村に届けるバイオマスブリケット事業です。ごみ問題だけでなく、再生可能エネルギーの創出や森林伐採の減少、現地の若者や女性の雇用創出等、様々な社会へのインパクトが期待できます。事業を通し、医療者、経営者、日本人、一人の人間として、「生まれた環境に左右されやりたいことが実現できない人々にどのように貢献できるのか」について日々考え、現地チームと議論を重ねています。

■今のご職業に就くと決めた時期は?


社会人2年目になり、気付いたら独立していました。

薬剤師免許取得後、新卒で大手人材メガベンチャーに就職しました。ビジネスプランを企画したり、実際に一人で営業先を訪れたり、入社前・入社後研修から、行動力に重きを置いた研修が多く、研修後は外国人財の雇用支援のため海外事業部で法人営業を担当しました。「一人一人が経営者であり、目の前の事業に泥臭く取り組む」という、社会人1年目から経営者思考と実践を交えた環境で仕事をさせてもらえる会社でした。

それと同時に、自身の経験を活かし、スモールビジネスを始めていました。例えば、学生の頃から受け持っていた衛生環境調査のリサーチ案件や、インバウンド向けに他国と日本の後発医薬品の違いによる健康相談カウンセリング等を独自で実施し、お小遣い稼ぎ程度ですが上手くいき始めました。また、新興国での優秀な人材に対し雇用を創出していきたいという想いがあり、学生時代からアフリカへの想いを捨てきれず、タンザニアの現地ビジネスパートナーとのミーティングも重ねていました。ビジネスプランを企画し、これから一緒に始めようというタイミングで会社を辞めたのも、自分の事業を始めた理由の一つです。

■今のご職業に就くためにどう動きましたか?就職に成功した秘訣は?

まずは、新興国における社会課題を深堀し、タンザニア現地のメンバーと事業の企画を行っていきました。助成金申請も実施し、現地にて製造開発のテストマーケティング実施するため渡航準備をしていたところ、新型コロナの影響で延期になりました。計画が全て崩れ、何をしたらいいのか路頭に迷っていました。そこで諦めてしまいそうになりましたがぐっとこらえ、事業を勧めるためにひたすら動き回りました。

経営者やビジネス経験豊富なメンバーから経営に関するお話を聞き、オススメの本があれば教えてもらい、実践を交えて、自分でやってみて、の繰り返しでした。もともと「起業しよう!」とは一切考えてはいなかったのですが、自分のやりたいことを実現させるため行動し、気づいたら自分の会社を設立しました。
今も経営や、新興国ビジネスについて手探りで挑戦しており、走りながら学び続けている状態です。

■他の進路と比べて迷ったりしましたか?

 迷いは特にありませんでした。むしろ、新卒で入社した会社を選ぶ時の方が迷っていました。「医療分野から離れた領域でキャリアを積んで良いものか」「自分のようなキャリアを歩む先輩がいない中、何を指標に前に進んだら良いのか」と悩みました。

逆に起業する際は、「自分の意志で決定して責任を取る」ことに楽しみを感じられるタイプだと元々気付いていたので、導かれるように、「自分で事業をやろう」と思ったら直ぐに動き出していました。
「選んだ選択肢を正解にする」ために行動し、前に進むための目標を決めていくことが何事も大切かと考えます。

■今のご職業を含め生活の満足度は?やりがいはありますか?

 やりがいしかないです。自分の成し遂げたい世界観があり、それに向けて自分の意思決定で前に進めるていけること自体、幸福度が高いのだと思います。
ただ、キラキラして見えるかもしれないですが、苦しいことが9割で、泥臭く、地道な作業もこなさなくてはなりません。それでも、目標にむかって進み、結果が出た時の達成感は図り知れません。
これからは、自身の過去の経験や見てきた世界観から、「低中所得貧困層が健康で、最低限の暮らしを確保できる衛生環境を整える」ために、ごみを原料としたバイオマスブリケット事業を拡大させていくこと、さらに「アフリカ現地住民主体の事業を創り上げていく」ために、現地での雇用創出とエンパワーメントに焦点をあてながら活動していきたいと思います。

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社会課題に向き合い、起業家として活動されている角田さん。

「生まれ育った環境」「幼少期に感じていた違和感」が現在の考え方や行動に大きく影響を与えているそうです。

「何でもできるんだね」―幼少期の葛藤―
幼少期に自分が何を感じていたか?人一倍豊かだった私は、幼少期からすでに感じていた“社会に対する違和感”を今でも記憶しています。それは、「出る杭は打たれる」という言葉のように、日本社会に根強く残る「周囲からの評価」を異常に気にし続けたため、さまざまな葛藤が、当時からあったように思います。

幼少期、最も力を注いでいたのが競泳でした。気付いた頃にはクラブチームの選手コースで泳いでいて、小学1年生の時点で大学生や社会人と同じ練習量をこなしていたおかげもあり、現在のタフネスを養うことができました。上下関係なく、努力と結果で評価される環境に心地よさを感じ、さらに陸上競技やトライアスロン、テニスといった、様々な競技にも挑戦しました。努力すれ報われると信じていた私は、人一倍努力することで数々の結果を残し、いつの間にか人から賞賛されることをモチベーションとしていました。


文武両道を実践すべく、成績は常にオール5、いわゆる“優等生”というラベルを自分に貼りながら勉強していました。順風満帆に見える一方、同級生から妬まれていじめに合う機会も少なくなく、上履きの中に画鋲や悪口の書かれた手紙が入っていたことは数知れず-そんな状況でも常に明るく振舞い、“優等生”を演じていました。振り返ってみると、常に周囲からの期待に応えるべく、何をしても周りに認められるために行動している小学生でした。しかし、心の中では“自分が感じたことを思うまま取り組みたい”という本音と、周囲のためにその気持ちを抑圧して模範的に生きなければならない建前の狭間でフラストレーションを溜めてしまっていました。

角田さんの大きな原動力となっている、自分自身と葛藤しながら生きてきた軌跡と、現在の活動に至った経緯については、UJAフリーマガジンGazette第6号にて新連載された『国際開発のすゝめ』の第一弾として掲載されています!

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