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私のキャリアパス

福岡工業大学工学部 生命環境化学科 教授
赤木紀之

中高等学校での出会い

 横浜市緑区に県立四季の森公園という大きな公園があります。そのすぐ隣に神奈川大学附属中・高等学校が開校したのは1985年のことです。自然豊かなこの学校に、私は第三期生として入学しました。神大附属では私は2人の理科の先生に出会いました。森脇美武先生と青柳昌宏先生です。森脇先生は理科室でウーパールーパーを飼育し、青柳先生はペンギン研究で南極にまで行かれました。とてもユニークな先生方に生物の授業を受けていたので、私は生物学に興味が湧き、大学では生物学を勉強したいと思うようになりました。

大学時代

 1年の浪人を経て、私は地元・横浜市立大学生物学課程に入学しました。高校時代の恩師の影響から、大学では動物行動学や生態学などを勉強するつもりでした。ところが、大学の講義で「分子生物学」という自分にとっては新しい学問を知りました。DNAを自由に切り貼りし、細胞に導入するという技術がとても興味深く、私は山田道之教授の分子生物学研究室に入ることに決めました。そのまま大学院修士課程まで在籍し、RNA結合タンパク質に関する研究に従事しました。

博士課程進学か?企業就職か?

 修士課程修了後はどうするか、私は大きな岐路に立ちました。いくつか製薬会社の研究職を中心にエントリーはしましたが、簡単には内定は取れません。一方で時代は西暦2000年間近。21世紀への移行期で、「ヒトゲノム計画」「クローン羊ドリー」「ヒトES細胞の樹立」などが紙面を賑わせ、生命科学の新たな時代の幕開けを実感していました。より深く生命科学研究に携わりたいと私は思い、港区白金台にある東京大学医科学研究所で幹細胞研究をされていた横田崇教授の研究室へ、大学院博士課程への進学を決めました。博士課程ではマウスES細胞の未分化状態維持機構の解明に取り組みました。

いざアメリカへ

 博士課程修了を控え、私は再び岐路に立ちました。「博士」になったのち、どうやって生きていくか?
実はここまでの過程で大きなライフイベントが私にはありました。大学2年生の時、私の母が47歳という若さで、白血病で逝去していたのです。母が患った白血病とはどういう病気だったのか。博士になった今、改めて学問として研究したいと思い、白血病研究ができる研究室を探しました。
 血液細胞の分化や腫瘍化に関する論文を読む中で、アメリカ・ロサンゼルスにあるCedars-Sinai Medical CenterのH. Phillip Koeffler博士の論文が目に止まりました。人材募集は出ていなかったのですが、直接Koffler先生に履歴書を送付し、ポスドクとして雇用してもらえないか問い合わせました。実際に渡米し、研究室でのプレゼンテーションを経て、無事ポスドクとして雇ってもらえることになりました。学振もグラントも業績もない中で有給雇用して頂けたのは、熱意が伝わったからでしょうか。2005年から2008年の3年半、白血病細胞の遺伝子異常や血球分化に関する研究に従事することができました。

帰国から独立へ

 加賀百万石の城下町として知られる金沢。大学院時代の恩師である横田先生が金沢大学医学部に異動されました。アメリカからの帰国先を探している中で、ご縁があって私は横田先生の研究室に助教として着任することができました。金沢大学では再び多能性幹細胞に関する研究に携わりました。並行して大学教員として、学生教育や社会貢献にも積極的に力を注ぐようになりました。
 10年以上金沢大学で勤務したのち、私自身が独立できないか、いくつか新しい所属先を探していました。その中で、福岡工業大学工学部にて「医学薬学に関連する分野」として人材公募が出ていました。工学部という私には未知の学部ではありましたが、研究分野は合致していたので応募致しました。ご縁があって採用され、2020年4月より教授職を拝命致しました。研究・教育・社会活動にバランスよく貢献していたのが評価されたと感じています。福工大は博多駅まで電車で15分。とてもアクセスのよいキャンパスです。

おわりに

 福岡工業大学に着任したことで、私は理学部、医学部、工学部の理系3学部を経験することになります。また、公立、国立、私立の大学を知る事にもなります。それぞれ雰囲気や学生のカラーが異なり、とても面白いなと感じています。多様性の尊重が再認識される中、学術的な多様性も大切です。いろいろな経験を融合することで、新しい景色が見えるかもしれません。
またこの記事では、あえて地名を出して紹介しました。横浜、白金台、ロサンゼルス、金沢、福岡と素晴らしく魅力的な街を私は渡り歩いています。これは最初から計画していたわけではなく、全て「ご縁」です。所属先も住居先も、なにかご縁があり絶妙なタイミングで巡り合うのではないかと思っています。セレンディピティ―を大切にしていれば、自然と道は開けてくるのだと実感しています。

https://doi.org/10.34536/ug010


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