「とりあえず、やってみる!」アメリカでのポスドク生活。
ペンシルバニア大学
坂本 智弥
1. いつ頃今のご職業につきたいと思いましたか?
科学に関係する仕事に就きたいと思ったのは大学生3年生のとき、まわりが就職活動を始めたときだと思います。もともと生物が好きで、理系の大学に入ったのだから、将来は大学で学んだことを仕事にしたいと漠然と思っていました。そのためには、博士号を取得する必要があるとわかったので、大学院進学は迷うことなく決めたと思います。
大学院進学後には、研究は世界中の人たちと協力し、または競争するものなのだと強く意識させられる出来事がいくつもあって、海外でポスドクをやろうと思いました。その一つが大学院生のとき、2010年に参加した国際肥満学会 (ストックホルム) でした。運良く自分のポスターがabstract賞を受賞したところまでは良かったのですが、せっかくポスターを見に来てもらっても質問に全く答えられない、何言っているのかわからないと言った感じで、残念な感じで終わってしまいました。
また、当時の自分の研究テーマに直接関係する、褐色脂肪細胞のサテライトシンポジウムに参加する機会もありました。そこでは、斎藤昌之 先生 (北海道大学, 獣医学研究院) や梶村慎吾 先生 (Harvard Medical School) が素晴らしい発表をされていて、自分も先生たちのように海外で知られる研究者になりたいと思いました。と同時に、ここでも質疑応答で議論されていることがわからず、自分が今やっている研究と関連はあることはわかるものの、その深い議論までには踏み込みことはできませんでした。
そんなこんなで(下記に経緯) 、 2013年から海外でポスドクをはじめて、2022年の2月からSenior Research Investigatorという職位になりました。
2. 現職に至るまでの今までの経緯をお聞かせください 。
上記の通り、自分が研究をやっていく以上、海外での研究経験は必須だと強く思っていました。しかしながら、まわりには博士課程に進んでいる人も、留学した人も多くはいませんでした。どうやって留学先を探すのか、どうやってアプライするのか等、基本的なことが全くわかりませんでした。
博士課程3年生の夏頃、これはもうやってみるしかない!と思って、当時手に入れることができたインターネットの情報や、数少ない先輩を頼って、少しずつ興味のあるラボにメールを送り始めました。当時TwitterなどのSNSアカウントは一応持っていましたが、こういう情報収集に使えるとはあまり考えたことがなく、もう少し有効に使うことができたかもしれません。今考えると全く驚くことではないのですが、当時特に目立った業績もなく、留学への明確な理由が書いてあるわけでもない僕のメールに返事がくるはずもなく、いつになったら留学先が決まるのか、不安を感じながら日々を送っていました。
そんなとき、当時同じ学科にいた、松村 成暢 先生 (現 大阪市立大学 准教授) がSalk instituteに留学が決まり、渡米前の準備期間中に僕が所属していた研究室にちょっとした実験を習いに来ていました。そのときに、松村先生も留学先を探すのにだいぶ苦労したとの話を聞き、その会話の中で当時フロリダにあった、Sanford Burnham Medical Research Instituteの話を聞きました。興味が出たので早速調べてみると、僕が取り組んでみたい分野の研究をやっているラボがいくつもその研究所にあることがわかりました。また偶然にもそのとき興味を持って読んでいた論文の一つがDanのラボから出ていたものだったので、今まで以上に具体的な理由と、こういうことをやってみたい (実際に従事する研究とは、全く違うのですが) という内容のレターを書くことができました 。いざメールを送ってみると、「interviewをしよう」とすぐに返信がきて、今まで返信がきたことがなかったので、すぐにレスポンスがあったことに大変驚きました。英語でプレゼンテーションを全くしたことがなかったので、interviewやpresentationの準備は相当大変だったことを覚えています。二回のinterviewをなんとかクリアして、2013年からDan Kelly labで心筋細胞のエネルギー代謝やその転写調節について研究をはじめました。
博士課程のときは脂肪細胞を使っていたので、心筋細胞や心臓のことは全く知らず、必死で勉強して、実験していたと思います。あっと言う間に4年が過ぎ、2017年に勤めていた研究所が経済的な理由で無くなるという予期せぬ出来事が起こりました。この機会に日本で就活するのも良いのかなと思っていたのですが、DanがUniversity of Pennsylvania (UPenn) に異動することが突如発表されました。発表から異動まで3ヶ月少ししかなく、その短い期間に日本での就職も決まることはなかったので、UPennについて行くことにしました。様々な研究分野でとても有名な大学なので、もしついていったら研究面でプラスになることは多いかなと期待していましたし、実際にそうでした。2022年までに2報ほど論文が出ていますが、どのプロジェクトにおいても、UPennにいる共同研究者やコアの方々にお世話になりました。
3. 就職に成功した秘訣はなんでしょうか?
私の今のポジションが「成功」とは決して思っていませんが、留学に関しては、自分が留学したいと思って「行動」したからだと思います。特に英語ができるわけではないですが、初めてながらinterviewの準備など、ほぼ毎回と言っていいほど恥をかいていますが、なんとかやってきました。「よくわからないから、やらない」というのも一つの考え方ですが、本当にやりたいのであれば、色々とあたってみて、とりあえずやってみるのは重要かなと思っています。やってみて初めてわかることがたくさんあると思います。あとは、アメリカで9年なんとか生活できているのは、完全に運と周りの方々のおかげだと思います。
4. 他の進路と比べて迷ったりしましたか?
迷いはありませんでした。といいますか、まわりが就職活動するタイミング (大学三年生、修士2年生のとき) に就職したいと思う企業がなく、研究が好きで続けたいなと思ったというのが率直な答えです。将来は自分のラボを持って研究をしたいと思っていますが、厳しい道だということもわかっています。アカデミアと企業の両方で、家族が困らないようなキャリアを探っていきたいと思っています。
5. 今の生活に満足しておられますか?
素晴らしい環境のもと、好きな研究ができるという面では、2013年から雇い続けてくれているDanに本当に感謝しています。しかしながら、家族を養う面では改善の余地があると思うので、ここに留まることなく、より良いポジションを目指していきたいと思っています。
6. 生きがいや夢をお聞かせください
論文が出て、まだ話したことがない人に「あの論文読みました。」と言われるのは、とても嬉しいです。論文は自分が死んだ後にも、世に残る作品のようなもので、そういったものが人々に評価されるのは、研究してきて良かったなと思う瞬間です。多くの人に読んでもらえるような傑作を残せたら良いなと思います。心筋細胞の転写制御因子について研究されているDr.William Pu (Boston Children's Hospital)と会う機会があったときに、彼のラボのJournal clubで僕らの論文を読んで、色々とディスカッションしたと言われたときは、とても嬉しかったです。後に共同研究にもつながりました。COVID-19に対するRNAワクチンの普及で、一般の人にも、基礎研究の重要性が少しは浸透したかなと思います。良い論文を書き続けることはもちろん、僕も生きている間に、自分のアイディアや持っている技術などを通じて、世の中の人の役に立てたら良いなと思っています。
7. 最後に、若者にメッセージなどお聞かせいただければ幸いです
まだまだ成功しているとは言い難い立場で、メッセージなんておこがましいですが、やはり具体的に行動することが大切だと思います。とても当たり前のように思うのですが、考えているだけで時間が過ぎてしまう…なんてことは、少なくとも以前の僕にはありましたし、今も未知のことに関しては、始めるのが億劫だなと思うことも正直あります。しかしながら、自分のことは自分が一番よくわかっているし、自分しか現状を変えることはできません。ここだと思ったときに積極的に行動していくことが大事かなと思って、今も生きています。
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