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エッセイ「時を越えてーかごしま近代文学館で過ごした時間」

先月末、かごしま近代文学館で開催されていた「山口誓子展」に行った。
展示の企画・運営を担った方からの紹介で、最終日にすべりこむことがかなったのだった。

かごしま近代文学館は鹿児島市による文学館で、鹿児島にゆかりのある作家の展示を主に行っている。西郷さんの銅像が立つ城山エリアにあって、子どもたちが多く集うかごしまメルヘン館と同じ建物の中にある構造が、わたしはとても好きだ。

実は昔、ここで受付のアルバイトをしていた。もう10年以上も前のこと。体調不良でしばらく療養生活をしていたあとに、社会復帰の場として選んだのがかごしま近代文学館だった。

当時の楽しみといえば仕事の合間に図書ルームの本を借りて読む時間で、鹿児島出身の梨木香歩さんの「西の魔女が死んだ」と出合ったのもその時。ラストシーンでは仕事中にも関わらず涙を流してしまい、その後そこにあった梨木さんの本はすべて読んだ。

一日に何度も、文学館の中を歩いた。
作家ごとに区切られたスペースには、説明文とともに自筆の原稿や本、持ち物など彼らの生きた記録が展示されていた。

今のようにパソコンのない時代、小説や随筆には必ず書き文字が伴っていたわけで、紙と文字を見ればそこにペンとインクがあることが分かったし、机や椅子があることも分かった。そして、そこに座る人間と握る手を伝う体温があることも分かった。
文字の線の太さ、色、形。すべてが作家ごとに違っていて、それぞれにさまざまな味わいがあった。彼らの文字にふれるたび、わたしは文字で書かれた内容はもちろん、そのフォントの差にも心を躍らせるのだった。

展示を見に行った先日は、雨模様。
展示スペースのある2階へと階段を登り、ガラス張りの前をゆっくりと静かに歩いた。

山口誓子さんは明治生まれの俳人である。
描く文字はスマートでかわいらしく、線も細めで、ポップというか抜け感があった。使われる言葉は自由で軽やか。なごみの空気をまとっていた。
文字の形にも文字を使って表現された俳句にもたっぷりとした余白があって、社会をきちんと見つめながら営みを続けた人、という気がした。作品はとても“今”っぽく、シンプルなフレームに入れて部屋に飾りたくなるような雰囲気があった。

鹿児島の、しかも当時、男性がこんな表現をしていたなんてすごいなあと思っていたら、ご本人は鹿児島に長く住まっていたわけではないと知った。父親が鹿児島の出だったというゆかりが分かって、妙に納得した。
世に出るとか出ないとか、評価されるとかされないとか、そういうものは時代やタイミングに大きく左右されるのだということも、また改めて思った。

山口さんの展示を見たあとは、ほかの作家の常設展示を見て回った。
向田邦子さんの「思い出トランプ」を立ち読みし両親とお寿司を食べに行った日を思い出したり、林芙美子さんのわが子に宛てた葉書の「おかあちゃんより」の文字に娘の笑顔を浮かべたり、椋鳩十さんの動物シリーズに亡きじいちゃんと椋鳩十記念館に行った子ども時代の記憶をよみがえらせたりした。

帰り際、働いていたころにお世話になった文学館の職員さんとばったり会った。彼女はすぐに、わたしに気づいた。
紹介されて展示を見に来たこと、今後のわたしの活動についてお話すると、「またよろしくお願いします」と明るい声が返ってきた。久しぶりの再会でも覚えていてくれて、やさしい笑顔を向けてくれて、とてもうれしかった。

わたしは思った。もしかしたら、これまでとか、新しくとか、知らず知らずのうちに線を引こうとしていたのかもしれない、と。けれどきっと、今まで過ごして来た時間や出会ってきた人たちとのつながりは、これからも続く。そしてわたしの中や外で混ざり合いながら、わたしの進む道を照らし、示してくれるのだろう。それはとても心強いことで、わたしはけっして一人ではない。

そんなことを考えながら、雨の中を帰った。大切な一日になった。

あなたの幸せがわたしの幸せ☺️💗一緒に幸せを紡ぎましょう✨