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日々をまるっとメモしたいし、あ!これメモしたい!と思ったことも全部メモしたい

こんにちは。手帳めくリエーターのharukaです。

摩訶不思議アドベンチャーなタイトルで始まった今回のお話。

どういうことかというと、つまりは

「日々をまるっとメモしたいし、あ!これメモしたい!と思ったことも全部メモしたい」ってことです。(同じ事2回言っただけ)(時間と文字数返してくれ)(大事なことはしつこく何度も言うタイプ)

初対面の方とお会いする時に私の手帳をちらりとお見せすると、結構な頻度で頂く質問が

「何も書くことがない日はどうするんですか?」

です。

そんな時は微笑と共に「考えたことや食べたものを書いたりとかですかね〜^^ 」と、ふわ〜っと、ふわとろオムライスのような回答をします。初対面なのでふわりと。

でも心の中では

「何も書くことがない日なんてないんよ!!!
え、じゃああなた何もせずご飯も食べずトイレも行かず何も考えず1日過ごしたこと、ある!?!?ないよね!?!?何もない日があるならその時間私に買い取らせて!?!?」

って思ってます。(こわ)(ただひたすらに感じが悪い)

日々をメモする相棒たち

あぁ、ふわふわオムライスをパカっと切ったらどろどろした卵液がぶぁ〜って出てきちゃった。

パカ!ふわ!オムライス(切ったらとろとろするやつ)に何度挑戦してもカチカチオムライスしか作れない系女子だけど。いつもフライパンのせいにして何とかよせぴー(旦那)に「まぁでも味は美味しいよ」って言わせてます。(かわいそう)

冷静になって本題に戻すと、その質問をした方はおそらく「手帳に書くに値する出来事が起きなかった日はどうするんですか?=家でゴロゴロしていた日など、何も予定がない日は何を書くんですか?」の意味で聞いているのだろうね。

うん、わかるわかる。

きっと世間一般では、手帳や日記に書く内容は「出来事」に基づいたことがベースになっているのだという認識がまだまだ強い気がします。

・旅行へ行った時
・友達と出かけた時
・イベントへ行った時
・ライブに行った時

などなど。

先日、こんなnoteを書きました。

大好きな手帳のお話を書いたら、いつもとビュー(記事を見てくれた回数)が桁違いになっていて、驚きを隠せませんでした。(驚きを隠せませんでしたってよく言うけど別に驚きって隠さなくて良いよね)(本気でびっくりした)(ありがたさしかない)

↑のお話では、割と「何かあった日」寄りの内容を書いているし、むしろ何もないのであれば自分で何かを生み出そうよ!さぁ!くらいのことを書いてます。

でも、実際、どうですか?(何が?)

そんな毎日毎日何か出来事を生み出してもいられないし、本気で何もしたくない日って、あるよね。

だから今日はそんな日の手帳のお話です。

何を、なぜメモしたいのか

そもそも「日々をまるっとメモする」とは何でしょう。

かわいい場所へ行った日のページはかわいい

私が思う「日々の中でもメモしたいこと」は

・その日何をして過ごしたか
どんな家事をしたか、何を観たか、何を読んだか
・その日どこへ行ったか
近所のコンビニや薬局にどういう順序で行ったか
・その日何を考えたか
ふと思ったこと、深く考えたこと
・その日どういう感情だったか
気分よく過ごせたか、心地悪い瞬間はいつか
・その日何を話したか
よせぴー(旦那)とのささやかな会話、話し合い
・その日何を視界に入れたか
目に映った景色、モノ、人
・その日何に心が揺れたか
血圧が上がった瞬間、怒りを感じたポイント

などなどなどなど。

ね、こうして書いてみると「確かに↑の基準で考えると何もない日なんてないな」と思うよね。

でも、それってメモしておく必要あるの?と思う方もいるだろうなぁ。いちいち覚えておく必要のないことなのかもしれない。

でも、でも、私は覚えておきたい。

いや、覚えておきたいんじゃなくて、「いつか忘れちゃうってわかってるから、楽に忘れてもいいように、書いておく」という感覚が正しいかも。

そしてなんで覚えておきたいかというと、私以外には決して誰も思い出せないことだから。

一度きりの自分の人生なのに、自分の日々がどうだったかを思い出せないなんて、悲しい。

私の人生目標は「わしの人生最高じゃった!」と言って死ぬことです。

死ぬ時に最高が良いの。幸せを噛み締めて死にたい。棺桶に好きなもの敷き詰めてほしい。

今日の自分より明日の自分が1ミリでも、1ミクロンでも楽しかったり面白かったり成長しててほしいし、その積み重ねをしていけば死の直前が一番「最高」であるはずだ!と本気で思ってます。

嘘つけ!そんなの無理だよ!衰えるよ!

という意見もあると思うけど、自分ができると思ってたらたぶん何でもできるので、できます。

だから死ぬ時に「最高だったか?」を判断できるように、極力すべてを記録しておきたい。メモしておきたい。

これメモしたい!のタイミング

ではでは、自分に起きた出来事はまるっとメモしたとして、他に「メモしたい!」と思うことはなんなのか。

私の場合は

・好きな人が発した言葉
周りの好きな人や芸能人や著名人含む
・noteで出会った素敵な考え方
ほんっとにnoteはメモしたい欲刺激される場所
フォローしてる方々のnoteの内容メモりまくる
・ネットに流れていたよさげな言葉
情報が多すぎてメモに埋もれそうじゃ
・読書の内容
誰かの良き考えはすべて手帳にまとめる

などなど。
主に自分以外の方から出た言葉が中心でした。

この時気をつけたいのが「誰が」発した言葉なのかを必ず明記しておくこと。

以前、過去の手帳を読み返したときに手帳に書かれていた素敵な言葉がどこからの出典なのかわからなすぎてもやついたことがあったので、最近はペンの色を変えたり誰の言葉か書くようになりました。

読書の内容はメモ紙をぺたり

読書ノートを作ったり、別の紙に言葉をまとめることもできるのだけど、私はすべて一番開く手帳にまとめてます。

別のノートにまとめると、そのノートを開こう!と思わない限りまたその言葉や考え方に触れることはできないけど、いつも開く手帳であれば無意識にペラペラして無意識に復習していつの間にか自分の「当たり前」になるからです。

すべて「一冊にまとめる」というのが大事。

正直「メモしたい!」と思ったことをメモできているかと言うとそんなこともないです。

メモできる環境にない時や、記憶が強すぎて(印象的な出来事すぎて)逆にメモできない時も。

メモしたい!と思って生きてはいるけれど、なんかメモしない時もあっていいのかなぁと思うので、力を入れすぎず楽しんで続けています。

とどのつまり「何もない日」がない

ここまで
・メモする率の高い日々の出来事とは
・その他にメモしていることの種類

について書きました。

最初に書いた「で、何もない日はどうするの?」という話題に戻ると

私にとっては「何もない日がない」ということになります。

このお話のように、「感性磨き」をしたりわかりやすい「行動」が何もない日はあるけれど、休んだり、ご飯を食べたり、スマホで何かしらの情報を得たりして生きています。

なので、そんな小さな小さな出来事をメモしていく。

比較的おとなしめな日のページ

食べたものを絵に描いてみたり、しいたけ占いの結果をメモしてみたり、そうめんについてる紙を貼ってみたり。

小さな出来事、と書いたけど、出来事に大きいも小さいもないよね。

大きな出来事=印象が強い出来事、ということにはなるけど、そういう出来事は記憶が強いから逆に書かなくても覚えていられるものです。

でも小さな出来事=当たり前になりすぎて記憶が薄い出来事は、本当に忘れる。

何を食べたか、何を聴いたか、何を言ったか。

日々をふるる〜っと流れるささやかな出来事ほど、忘れてしまって何もなかったかのように思えます。

でも最初に書いた通り、自分に起きた小さな出来事は自分が覚えておいてあげないと誰も覚えておけないし、記憶が薄れて「私は一体何をしていたんだろう」と思ってしまいがちです。

だから、どれだけ小さな出来事でも書く!!!

小さければ小さいと思う事ほど、これって書く意味ある?と思う事ほど、書く!!!

書く意味がないと思えることもアイデアの種になったりするし、意味を生み出すのは未来の自分なので、自分へのお手紙として書くのも楽しいです。

日々生きていることを実感できる

手帳一冊でこれほど楽しめるなんて、本当良い趣味だなぁと思う。

この趣味でお仕事ができないかなぁと日々模索する手帳めくリエーターでした。

読んでくれた人、ありがとう!!!

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