感性磨きを2ヶ月続けたら、毎日が少しずつ面白くなってきた話。
こんにちは。手帳めくリエーターのharukaです。
最近、日々を生きるのがちょっと面白くて、「これは夢?まやかし?」「いつか消えてしまうの?」と思うことが度々あります。
今までは、「毎日が幸せ!ハピネスの極み!」という超スーパーポジティブモードの自分が度々訪れては、
「人間なんてみんな偽善者だ、私も含めてみーんな嘘つき。この世界は闇に包まれている!!!」
というハイパー疑心暗鬼モードの自分がすぐにやってきて、今日と明日の自分の違いに戸惑いまくって疲れていた。どちらかというと後者が本来の私だと自分では思っているけども。
でも、ここ最近の感覚は、ちょっと違う。
別に「幸せ!楽しい!みんな大好き!」という感情はそこまでないけれど、日々起きる出来事や、見る景色、周りの人が発した言葉が「面白い」と思える。
宝くじが当たった訳でもなく、おめでたい記念日やイベントがあった訳でもなく、ただ普通の日常を生きているだけなのだけど、面白い。
今日はそんな、毎日を面白く過ごすコツ、みたいなお話しです。(文字にするとなんか偉そうだな。)
感性ってなに??
何故日々を生きるのが面白くなってきたのかと言うと、
「以前より格段に自分の心の動きに気づけるようになっているから」
そして
「感性が豊かになってきているから」だと思う。
自分で自分のことを「感性が豊か」と言うのは、ちょっと恥ずかしい。でも、人と比べて感性が豊かだ、ということではなくて、「昔の自分」と比べた時に今の自分の感性が豊かになったと感じるということです。
そもそも「感性が豊か」という言葉は「創造力がある」とか「芸術性が強い」とかいう意味合いで使われることも多いけれど、それ以前に「見えざるものを見る力」なんだよ、ということを去年学びました。
…え、透視?超能力?という突然のスピリチュアル発言。幽霊が見えるとかそういうことじゃないの。高い壺売ったりもしないから安心して!!!
じゃあどういうことかと言うと、「イメージする力」=「想像力」がある状態が、「感性が豊か」ということ。
想像力を使う場面
想像力。目に見えないものを、頭の中に思い浮かべること。
日常で想像力を使う場面は、意識せずとも度々あるはずです。
今日は何を食べようかな、と頭の中で食べ物をイメージするとき。今日はどの服を着ような、と服を着た自分をイメージするとき。
今、この瞬間、想像してるぜぇ〜!!と意識することはないけれど、人は日々イメージを膨らませて生きている。
そして、このイメージの幅、つまり想像する材料が多ければ多いほど、日々の暮らしが面白くなるんだ!!!ということに気付きました。
日常に散らばっている想像力が試される場面を箇条書きにしてみれば、その大切さがよーくわかる。
リスク管理的な意味合いの想像もあれば、日々の暮らしを豊かにする系の想像もある。
その中でも、日々の暮らしを豊かにする系の想像力をつけると、どんどん日々が彩られて味わい深いものに感じられるのでは?と思うのです。
そういう想像力をもつことが、「感性が豊か」という状態なのかなぁと。
「行動の連続が、感性を磨く!」
「感性=見えざるものを見る力」ということを学んだ場において、感性は「行動」によって磨くことができるんだよ、ということも学びました。
「行動」というと少し規模が大きく感じるけれど、意外と小さなことから始められるものみたいで。
例えば、「いつもと違うことをする」ということ。
などなど。例を挙げたらキリがないけど、目に映る景色や耳から入る音、口から吸い込む空気、手に触れる感触、人とのコミュニケーションなどにおいて、そのバリエーションを増やす、というだけですべて「行動」になります。
しかし、私は疑い深いので、心のどこかで「そんな小さな変化で日々が面白くなるわけがなかろうもん、、、」と思っていました。
でも、疑ったまま何もしないのはもったいなすぎるので、実験してみた。
まず、毎日のように手帳におまじないの言葉を書いて、意識する。
「行動の連続が、感性を磨く。」と!!!
そうして2ヶ月毎日のように「行動の連続が感性を磨く」と信じ続け、行動しようと意識し続けた結果、本当に地味〜に毎日が面白く、味わい深くなってきたのです。
人と人との考え方の違いも面白いし、失敗したらあぁまだ自分は成長できるんだとわかって面白いし、ありふれた日常を愛でようという意識が強まった。
あとは、心が動いた瞬間をとにかく記録すること。
はぁ素敵!と思ったことはすぐメモ、かわいい!と思った場面は写真にとる、真似したいと思ったネット記事はすぐスクショ。
私はすぐ忘れてしまうので、とにかく毎日たくさんのことをスマホや手帳にメモ、メモ、メモ。
メモするとたくさんのことに気づけるし、1日を大事に生きられている気がします。
受け取り方次第で変わる
もちろん感性を磨く以前に、体調や衣食住が整っていないと、面白く生きたいと思うメンタルは生まれないと思います。
自分を変えるプチ行動を習慣化しようとしても、物理的に自由に使える時間がなかったり、環境が自分に合ってない場合もそう。
その昔というか数年?数ヶ月?前まで私は、すべてを人のせいにしていました。
自分の仕事が忙しくて疲れるのは繁忙期という時期のせい、毎日辛いのは苦手なあの人のせい、やりたいことができないのは環境のせい、などなど。
とにかくすべてを自分以外のもののせいにしていました。その方が楽だし、それが正しいと思っていたから。
もちろん、自分の力ではどうにもならないこともあります。でも、今いる場所を選択したのは、他の誰でもないこの私。それを人のせいにしていても、何のメリットも生まれない、生まれるのは愚痴だけでした。
だから、受け取り方を変えて、体調が整うような選択をする。今いる環境が合わないのであれば、別の環境に移る道を自分で切り開く。自分で切り開けないのであれば、人に助けを求める。
そうやって自分の進みたい方向を自分で選べるようになれば、もっと生きやすく、もっと面白くなるのかなぁ、と思えるようになりました。
私もまだまだできないことがたくさんあるし、こうやって面白く生きようとしていることすら忘れてしまったりもするので、何回もしつこく自分に言い聞かせてます。
はー、今日も面白かった。手帳書こ。
そんなことを思った日でした。
読んでくれた人、ありがとう!!!
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