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迷子の記憶を手繰り寄せて定位置に戻す

書こうかな。今日はやめておこうかな。
書くとしたら、たぶんまた、自分の記憶の中から苦しかった部分を引っ張り出すことになる。

いつもきちんとした構成など全く考えずに衝動的に書き出してしまうから、
着地点がどんな場所になるのか自分でも見当がつかない。
(読んでくださる方の読みやすさなんて考える余裕もないから申し訳ないなぁと思う)

苦しい記憶を頭の中から引っ搔き出すのが、難しくなっている今日この頃。
それは私が穏やかな日常の中にいるアカシ。とてもメデタイ。

『記憶が薄れていく』ことが、とても心地いい。

こんなふうに『過去』が自分の中で風化していくことを予想だにできなかった。

何が起きたのだろう?
なぜ急に『記憶』が私から離れていこうとしているのだろう?

不思議な物語の中に自分が舞い込んだよう。

もう手放していいのかもしれないと思う。本当は。

「そんな過去もあったっけ?もうあんまり覚えてないのだけど」…と、
そんな自分になってもいいはずなんだけど。

でも、私はこうして書くことで、自分の記憶を自分にわざわざ刻もうとしている。

目の前に流れている『穏やかな時間』から自分を引き剥がして、
今夜もわざわざ自分の意識を『苦しんだ過去』へと放り込もうとしている。

そうして過去を『文章』という形に置き換えていくのは、なんだか自傷行為みたいだ。

自分で自分に『記憶』という傷を刻む。

長いこと、ひどいフラッシュバックに苦しんだ。
完全に治ったわけではないけど、もうそれほど怖くはない。

記憶に蓋をすればするほど、ふとした折につらい記憶が全開し嵐が起きる。

何人ものお医者さんから
「傷ついた過去から抜け出せなくなる危険があるから、過去と向き合わないように」と言われた。

それでも私は向き合うしかなかった。どんなに危険でも。

お医者さんの意見は間違ってなかったと思う。

それはやっぱり危険な行為だったし、
トラウマを抱える方に過去と向き合うことを安易にすすめてはいけないと思う。

ただ、私の場合は過去と向き合い、過去を自分のもとに引き寄せることで
どうも自分の記憶が定位置に戻ったらしい。


誰のものでもなくなって迷子になっていたような気がする。私の過去が。

手繰り寄せることで、迷子になって浮遊していた記憶が
もともとあるべき場所に収まったということなのかもしれない。
(浮遊霊が成仏した…みたいなことが起きたのだろうか…??)

『記憶』が叫んでいたのだろうか?
「私はここにいる!迷子にしないで!私を元の場所に戻して!!」と。

『記憶』が私を呼び寄せていたのだろうか?

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