そこに希望はあるだろうか。
ずっと読めずにいた本、ようやく読んでるよ。
切ないお話。
生まれたときから、その運命を義務付けられている人たちのお話。
初めから義務付けられた運命を背負って、
意図的に産み出された人たちのお話。
その人たちの人生に「選択」なんてない。
まだ半分までも読めてないんだけど、なんだかあまりにも切なくて
息苦しくなって本を置いたところ。
どんな展開になっていくのかな。
読み進めるのが少し怖くなってしまったよ。
その物語に「希望」はあるんだろうか。
もうずいぶん昔のことだけど…
なんだか自分の掌から「幸せ」というのが
ボロボロと滑り落ちていくような気がして
怖くてたまらなかった。
たしかにあれは予感だった気がする。
また私は、「希望」を持つのが少し怖くなってるみたい。
もし「希望」を持っていて、この先希望とおりに「希望」が訪れなかったら、
どうせ「希望」なんか持たないほうがよかったんだと思いそう。
「希望」なんて持ってしまったことに後悔しそうだから。
「希望」なんか軽々しく持った自分を恨みそうだから。
だからね、
「希望」なんかとっとと捨ててしまったほうが
ラクだったりすんるんじゃない?
のちのち傷つかずに済むんじゃない?
と、「希望」から逃げ出したくなってるよ。
先になって、「どうせ希望なんてなかったんだ」と
投げやりな態度になるほうがラクなんじゃない?
と思ったりしてるよ。
「希望」を持ってていいんだろうかね。
「希望」はあるんだろうかね。
世の中のどこにももう逃げ場はないし、
安全な場所なんてどこにもない。
安全を保証されてる人なんて一人もいない。
じゃあ反対に
私にとっての一番の絶望ってなんだろう?
考えたよ。自分なりに。
たとえばね、
もしどれほど自分の人生が長かったとしても、
その人生は輝いてはいなかったと感じたら、
きっとすごく悲しい思いとともに人生は幕をおろすよね。
それはやっぱりあまりにも悲しい気がする。
長い、短い、は、実はあまり関係ないものなのかもしれないね。
想定していたよりも早く、
なんらかの悲しい事情により人生を閉じることになったとしても
そこまでの私の人生は充実したものだったと思えたら、
そこに「絶望」は同席しない気がする。
だとしたらやっぱり
とくになんてことない私の平凡な一日一日を
自分なりに少しずつ輝くものにしていくしかないよね。
自分が過ごしているこの何気ない時間を
自分なりに積み重ねていくしかないんだよね。
「希望」は
あるのかもしれないし、ないのかもしれない。
少し悲しい気持ちになっている今の私は
希望なんてないんじゃない?と思うほうが
ラクなんじゃない?という考えに取り憑かれてる。
悲しい気持ちになってるから、
きちんとした考えが思い浮かばない。
でも、もしかしたらどっちでもいいのかもしれない。
希望があっても、なくても。どっちでも。
私が過ごしている平凡な時間を
私がコツコツ大事に過ごしていればいいんだという気がする。
そんなコツコツを積み重ねていくしかないんだよね、と
今日の私はそんな結論に落ち着いたよ。
で、ちょっとホッとしてる。
そう思えたら、なんだか気持ちが落ち着いたよ。
今日の私の気持ち、書き記しておくよ。
いつか笑いながら読み返せるといいね。
2020年4月5日(日)の私より
少し先の私へ
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