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言葉は「祈り」

今日もまた日記帳を広げて自分とおしゃべり

自分に浴びせられてきた言葉って、記憶の深い部分にしっかりと刻まれてしまっていたりする。

体調もどうにか落ち着いていて気分的にも調子良く過ごせているときには、
イヤな記憶はけっこう潜んでくれている。
でも不調に陥ると、思い出したくないものが記憶の表面に上がってきたりする。

双極性障害(躁うつ病)を抱える私は、体調が落ちると日常の家事さえもままならなくなることも多い。
一旦体調が落ちると気持ちもテキメンに落ちていく。
身近に気軽に頼れる人のいない状況にいると、体調不良がよけいに気分の下り坂に影響する。

この病気を抱えていると、ある一定ラインに「気持ち」を保つためには、
けっこうなエネルギーが必要なんだと思い知らされる。
(それはたぶんフツーの人でも同じようなことが言えるのだと思う)

以前の苦しかった状況に比べれば、
今は驚くほど穏やかな気持ちで日々を過ごせるようになったのだけど、
それでも私には気持ちのコントロールというのがまだまだ難しい。

今日もまた、日記帳を取り出してせっせと自分への言葉を書き連ねている。

自分がなにに引っかかっているのか、
自分がなににイライラしてるのか、
自分の気分が塞いでいるのはなぜなのか、

ノートに書いていると、少しずつ心の中のモヤモヤが出て来てくれる。

そんなモヤモヤに、自分でまた言葉を与える。

日記帳の中で延々つづく一人会話。私と私とのおしゃべり。
ときどき自分でも混乱して、ちょっと笑えたりする。

なぜか落ち着く一人会話。

誰に話してもわかってもらえそうにない気持ちも、
自分で「そうだよねえ、つらいよねぇ。仕方ないよねぇ。」なんて言葉で相づちが打てるから、
不思議と一人ぼっちにはならない。

置いてけぼりにならない。
「置いてけぼりにならない」というのが、私にとってはとても心強い。

「誰にもわかってもらえない」というのが何よりつらかったから。
「孤独」を感じるのが何よりつらかったから。

今は一人会話をしながら、ずーっと自分にくっついている。
ノートを広げてペンを走らせている間は、私は一人ぼっちにはならない。
自分への温かい言葉がするする出てきてくれるようになったから。

そうやってノートで一人会話を楽しむことを知って、少し強くなれた。
ある意味、自分が自分のカウンセラー。
書くことでセルフカウンセリングみたいなことができるようになった。

病気を含め、今でもいろいろと難しい状況を抱えている私。
やっぱり「孤独」を感じる状況は苦手。

そんな自分にノートを介して言葉を与え続けている今日この頃。

私が私に与える言葉に、私は満足してくれるかな?
「あぁ、私は孤独ではないらしいぞ…」と私が納得してくれますように。

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