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干支が二周して辿り着いた先は、「苦しみ」と「喜び」の共存

どうにかして自分の頭の中の苦しさをガリガリと掴み出して『文章』に置き換えないと、ホントに頭が爆発する…
そんなシャレにならない切迫した状態に襲われることが、ずいぶん少なくなった。

なので、noteを開いて必死に文章を打ち込む、という作業から遠のいていた。

日記帳にその日の小さな自分の物語を記録したり、ときどき誰かに長い手紙を書いたり…
ということは今でも変わらず続けているけれど。

不特定の人が読む可能性のある場所にわざわざ文章を送り出さなくても、どうにか凌いでいける…という、
私にとっては不思議な穏やかさを感じられる日々がすごく増えた。

今でも読むことは好きなのでときどきnoteを開いていろんな方の文章を読ませてもらっている。
でももしかしたら、もう自分がnoteに何かを綴ることはなくなるのかな?なんて思っていた。

書きたくなったら書けばいいし、書かずに凌げるのなら特に無理して書かなくてもいいし。
そんな緩いスタンスの私だけど。

久しぶりにドス黒い竜巻が頭の中を吹き荒れて、
いや、もうホントに自分が壊れてしまう!みたいな数日を過ごした。

竜巻発生中は、何が起きているのか自分でも理解不能。

感情のコントロールなんて、そんな簡単にできるもんじゃない。

竜巻が少し収まってから、いったい何事だろう?と自分の頭の中をよ~く観察してみると、
あぁ、そうかぁ、また自分の記憶にゴリゴリと振り回されているんだ…と気づく。

誰かが私の体をムギュウと掴んで、力任せに私を洗濯板にゴリゴリとなすりつけているんじゃないかと思う。
心身がボロッボロ。

久々に味わった苦しさなので記録をしておきたいと思って久しぶりにnoteに向かっている。

私が離婚届を提出したのは、24年前の春の日。
(当時の状況は過去にも書いたことがあるので詳しいことは省略させてもらう)

離婚届をバッグに入れてすぐ近くの市役所に向かっていた。
すぐ近くなのだけど心身に余裕などなく車で向かった。

わが家の目の前の公園は桜はちょうど満開。
その日は快晴で、陽射しを浴びた満開の桜の花たちが青空にキラッキラ輝いていた。
まぶしくて、文字通り目眩がした。

4歳と1歳の息子を抱え、当時すでにひどい鬱に苦しんでいた私。
(のちに私は躁うつ病と診断される)

様子がおかしくなって自分の殻に閉じこもってしまった夫の回復を見届けて、ようやく突き付けた離婚。

私の母は病気のために寝た切りとなり長期入院中。
もともと母との折り合いの悪い父は家を出ていこうとしていた。
私の幼い頃からコミュニケーション不全の家族。中身なんてないスカスカな家族。

周りに頼れる人もなく、また誰かにSOSを出す気力なんて私に残ってはいなかった。

満開の桜に目を眩ませながら、「私は子どもたちと死ぬことになるのかもしれない」と覚悟した。
そこまで覚悟ができたから、無謀な離婚に踏み切れた。

全身に陽を浴びてキラキラまばゆく輝く桜と、幼い息子二人を抱えて死の際に追い詰められている私は
あまりにも好対照だった。

その後の長い年月、私はひどい鬱に苦しみ、何度も本気で死のうとした。
本気で子どもを道連れにしようとしたこともある。
幼いわが子の首に巻き付く自分の手を、たぶん私は一生忘れない。

満開の桜は、私と子どもたちの〈死〉への入り口。

毎年、桜の季節には、どうしても気分が塞ぎ体調が崩れウツに落ちる。
事情を知る人は桜の季節になると私のことを心配してくれた。

桜が咲くのは嬉しい。素直に嬉しい。
でも強く刻まれた記憶がどうしても蘇る。

離婚届を出しに行った日に見た満開の桜は、今も変わらずわが家の目の前の公園に立っている。

この数年はどうにか私の体調も安定してきて、忙しい日々を過ごすことが増えた。
体調が安定してきたことと、忙しさに追われることで、
『桜の季節』もそれほどひどい鬱に襲われることなくやり過ごせるようになってきていた。

今年はやけに桜の開花が早かった。
桜の花が綻び始めると素直に嬉しくて、たくさん写真を撮った。

「今年も竜巻に襲われることなく春を過ごせそう」な~んて油断していた。

そんなことはなかった。甘かった。

「桜」そのものではなく、離婚届を出した日が近づくに連れ、なんだか雲行きが怪しくなった。

そうかぁ…。私の記憶回路が反応するのは「桜」そのものではなく、「その日」かぁ…。

つくづく「記憶」って難しいと思い知らされた。

数日暴れ回った竜巻はどうにか通り過ぎていってくれて、穏やかな日々が戻りつつあるけれど、
とにかく疲れ切っている。

でも、自分が回復し切ってからでは、この苦しさを思い出すのが難しくなる。

苦しさが心身に残っているうちにとにかく記録しておこうと、必死にタッチペンを動かしているところ。

「桜」は私にとっての〈死〉の象徴。

苦しさに負けて、自分で命を絶ってしまうかもしれない象徴。

自分の手でわが子の首を絞めて殺してしまうかもしれない象徴。

でも、あれから干支二周分の時間を私なりに必死に踏ん張ってきた。
長い長い年月。同時にあっという間の年月。

歯を食いしばって、この世にしがみついてきた。

本気で首を絞めかけてわが子に大きな心の傷を負わせた私は、何がどうあっても踏ん張るしかなかった。

いつか絶対に見返してやる!生きのびて、この悔しさを晴らしてやる!!
そんな出来事が数え切れないほどたくさんたくさんあった。

「家族」という空間で、どうしても負けられない孤独な闘いの中に私はいた。

毎年毎年、すぐそばで咲いてくれる桜を見ていると、なんだか
『私なりの踏ん張ってきた長い年月』をずっと桜が見届けてくれたような気がしてくる。

いつの間にか、
満開の桜は、私にとっての「この世にしがみついてきた私自身」の象徴に変わりつつある。

今でもやっぱり桜は私にとっての〈死〉の象徴であることに変わりない。
でも同時に〈生きることへの執着〉の象徴にもなってくれている。

そう気付くことができた今年の春。
竜巻のおかげで気付くことができたかもしれない。

〈死〉の象徴は、同時に〈生〉の象徴にもなる。

年月を経ることで、意味合いを重ね合わせることができる。

まだもうしばらくは私は生きるだろうから、この先まだ何度か満開の桜を見る機会があるだろう。

桜が咲き始めると、たぶん私はまた調子を崩し、そして記憶に苦しむことになるだろう。

苦しもう。そして思い出そう。しっかりと。

苦しんだ日々を。そして踏ん張った日々を。

私の中から苦しみが消えることはたぶんない。

でも、苦しみを抱えながら、同時に人は喜びも感じられる。

もし、苦しみを抱えていたら喜びを感じることは不可能なのだとしたら、
苦しむことは苦痛でしかないし、苦しみを排除したいと思う。

でも、苦しみと喜びは共存できるのだとしたら、苦しむことをそれほど怖れなくていい。

そう気づくことができた24年後の春。

私をこの世に繋ぎ止めてきてくれた子どもたちへの感謝を、
毎年の春、いっそう心に強く刻もう。

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