親は好き、でも理解者じゃない。
親のことは好き。
でも私の理解者じゃない。
私の中でその2つは矛盾なく両立している。
私は親に愛されているし、私も親のことを愛している。
それには特に理由はない。
ただ大切な存在だと思う。
ここまで育ててくれたことに感謝している。
過保護なのも口煩いのも大事にされているからだと分かっている。
親は私の大切にしているものを理解してはくれない。
無意識に悪気なく否定する。
友人も否定された。
好きな人も否定された。
趣味も否定された。
尊敬している人たちのことも否定された。
夢も否定されて、私は諦めるしかなかった。
だから私は親を憎んでいる。
でも嫌いにはなれない。
親は私のすべてを理解しているつもりだけれども、親には見せていない面がいくつもある。
親の前での私より、友人や恋人の前での私の方がよほど「ありのままの自分」だ。
それなのに「私たちは娘のことを何でも理解している」という顔をされると複雑な気分になる。
親は自分たちが私の理解者であると思っている。
娘の理解者でいないと気が済まないらしい。
私に「2人は私の1番の理解者だよ」と言わせたいようだ。
でもそれはできない。
私の中ではもう「親のことは愛している。でも理解者じゃない」という整理がついてしまっている。
そう諦めることで自分を守ってきた。
いや、正直に言うと今も時々「理解してくれるんじゃないか」と恐る恐る扉を開けてみる。その度に傷ついてまたそっと扉を閉める。
部屋の中で1人泣きながら「馬鹿だなぁ」と自分を嘲笑うことになる。
親と子どもは違う人間なのだから理解し合えなくて当然だ。
本当は理解されたい、私を受け入れて、味方になって欲しい!と駄々をこねる子どもな私もまだ心の中にはいるけれども、どうしようもない。
価値観や性格が根本から違う。
私からしたら親は「デリカシーがない人たち」、親からしたら私は「繊細すぎる子」だ。
どちらが悪いとかではない。
ただ合わない。
性格が合わなくても理解し合うには、歩み寄るしかない。性格が全く違うのに仲が良い家族もいる。
でもそれは「家族だから」ではなく、その人たちが努力しているからだ。
少なくとも、親が「家族なら何でも分かり合えるもの」と信じているうちは私の理解者になることはないだろう。
ただそれだけのこと。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?