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「ぴの」とテュル活と私

この記事は、2月22日「ネコの日」にちなんで書き下ろしたものです。すでに知っている方にとってはあまり新しい情報もなく、そのわりに思わぬ長文になってしまいましたが、ご笑覧いただけるとうれしく思います。

私のnoteをご覧になってくださっている方は、今私が猫と一緒に暮らしていることをきっとご存じでしょうが、今日は2月22日「ネコの日」ということだそうで、改めてぴのとの出会いから現在に至るまでを語ってみようと思います。

1. 出会いはトルコで

SNSでつながっているみなさまにとってはこちらはもう、周知の事実でしょう。ぴのとの出会いは、私がトルコの首都アンカラで日本語教育の仕事をしていた2017年の秋、10月末のことでした。

とある方からお誘いを受けて、けっこう悩んだことは今でも忘れられません。なんせこちらはいつか日本に帰る予定の身、そのときに本当に自分は猫と一緒に日本に帰れるほどの知識を得たり、準備ができたりするんだろうかと。

それ以前に、自分一人で果たして本当に猫の世話ができるのか、ということでも悩みました。このときTwitterなどやっていなければ、あるいはねこのしもべとなっている先輩のみなさまの助言や奨励の声がなければ、おそらく引き受けるのを諦めていたかもしれないなと思います。

そんなわけで、それなりに自分で覚悟を決めて、引き受けることを決断。2017年10月22日に、彼はアンカラの当時の自宅にやってきました。

もう、家に来たその日からかわいいことかわいいこと。ちんまりとしていて、家の中をふらふら歩き回っては、戻ってきて…。今思えば自分の住処となるであろう当時の部屋、どこになにがあるのかを把握していたのだろうとは思うのですが。

とにかく一挙手一投足がかわいかったし、仕事に行ってもすぐ帰らないと、というので毎日帰宅が待ち遠しかったし、同時に一緒に遊ぶのが楽しみでなりませんでした。

2017年11月4日当時のぴの。見てください、このちんまりしたたたずまい。
この頃はちょっと歩き回ったと思ったら、すぐ眠っていました。家に来た初日からべたべたくっついてきて、人間を恐れていないのが印象的でした。
いい人たちに保護されたのだなあ、と思います。

幼少期、生後2ヶ月か3ヶ月ごろくらいからぴのと一緒にいるので、成長の過程ももちろん全部この目で見てきています。

爪を切るのが最初は怖くて、定期的に近所の獣医さんのところに頼みに行っていたこと。歯が入れ替わる時期に噛み癖がひどくて、ある日帰宅するとパソコンの電源ケーブルが噛んだ跡でぼろぼろになっていたこと、そして家の中をよく見たらありとあらゆる細いケーブルが噛みちぎられていたこととか。

これはどうしたものかというので、ケーブルの保護材をKoçtaşという大型日用雑貨店にあわてて買いに行ったり、猫よけのスプレーを取り寄せていって欲しくない場所に散布したり。

ありとあらゆる対策で悩んでいたのも、今となっては懐かしい思い出です。

トルコには5年ほど滞在したわけですが、まさしく2017年秋はちょうど2年半経過したころ。思い出の前半は自分一人でのトルコという異国の地での生活、後半はぴのとの暮らしが生活の中心となっていて、まさしく前半と後半で全く違うフェーズを迎えていたのだよな、と思います。

2. 帰国前の準備、帰国・国境越えの大冒険

こちらについても、猫の日本国内持ち込みの経験が誰かの役に立つといいなと思って、以前記事に3回ほどに分けて書いたことがあります。おかげでかなりの反響を得まして、書いてみてよかったなと思ったことでした。

成田空港から羽田に移動して、長崎の実家に戻るのも大変でしたねえ。もう2年以上経ちますね。懐かしいです。

長崎の実家に着いた日は、二人(つまり、私とぴの)ほんとによく寝たよね… それくらいどちらも疲労困憊だったことも、忘れるわけがありません。

その後幸か不幸か、全世界でのパンデミックで身動きが取れず。なんとも微妙な日々を過ごしているのはみなさんと共有している通りではありますが。

3. 長崎での生活と「オフィスぴの吉」

長崎の実家はそれなりにスペースがあり、当初は当時先住で実家のペットだったチワワの「チョコ」先輩に配慮して、できるだけ直接会わせないようにしていました。

今思えば杞憂だったのかもしれませんが、チョコがだいぶ老齢だったこともあり、万が一のことがあってはいけないという私の両親の配慮もあったのです。

そのチョコも、昨年7月に18年の生涯を終えて、虹の橋の向こうへ。私よりもずっと長く時間を過ごした両親や祖母の方がきっと辛かっただろうに、葬式の当日、荼毘に付したその日にぼろぼろ泣いたのは私だけという、なんとも間抜けなこともありましたが…

その後現在に至るまで、家の中を我らが「ぴの」が我が物顔でうろうろしていることは言うまでもありません。チョコ先輩にぜひ感謝してほしい…。

あと日本に来てよかったなと思ったのは、飲み水の心配というか、飲み水に神経を使うことがだいぶ軽減されたことでしょうか。

ご存知の方も多いと思うのですが、トルコは水道水は硬水で、人間はもちろんのこと猫にとっても飲料に適した水ではないのです。

それなのに、ヤツときたら。とにかく水道の水がトルコにいるときからなぜか大好物で、人がシャワーを浴びている時も水滴を舐めにやってきますし、台所の水が流れたと察した瞬間とんでもないスピードでやってくるし(あの図体でです!)。

実際トルコにいる時から下部尿路に健康上の不安があり、尿結石というか膀胱炎を2回ほど発症したことがあったので、アンカラ滞在時は本当に神経を使ったものでした。

長崎に来てからも2回ほど発症してしまいました。
今はなんとか回復して、その後も順調ですが。
こちらがちゃんと食事を管理してあげるべきだったなと思います。

それが、日本でなら水道水が軟水ですし、飲料として飲める(長崎でかかりつけ医になってくださっている獣医さん曰く、日本では逆にミネラルウォーターを飲ませない方がいいというんですから、トルコとはいろいろと真逆ですねえ!)。

これは本当にありがたいです。仮に水回りの場所、たとえば風呂場にせよ台所にせよ、ぴのが間違って水道水をなめまわしても、トルコほどは有害ではないだろうという安心感があるのです。

あるいは、おもちゃも手頃な価格でねこが飽きないものがたくさん売られているし、なんといってもねこのハートを鷲掴みにして離さない、あの「ちゅーる」がある。

アンカラにいた頃から、日本に一時帰国したときにお土産で買って戻ったちゅーるを、ぴのもまたとても好みました(こちらが引くくらいの鳴き声で要求してきたこともありましたっけねえ)。

当時、アンカラにいましたから当然ちゅーるは貴重なおやつ。なくなったらトルコでは補充が効きませんでしたからね。

もちろん日本でなら、安価で手に入るわけです。食べさせすぎるともちろんよくないだろうとは承知しつつ、時折ながら惜しまずに与えられるのは、日本でのぴのとの生活という点ではよいことの一つでしょうか。

そしてなんといっても、ぴのは自分にとっては「招き猫」というべきか、福を呼ぶ存在であることは間違いないなと思います。

一つは、自分のSNSの充実ぶりです。こんな長崎の片隅にいて、Twitterのフォロワー数が4900にまで増えるというのは、まずぴのと生活していなければ達成できていない数字でしょう。どう考えても…

それともう一つは、やはり何と言ってもぴの自身が「オフィスぴの吉」の開設の直接の契機になった存在であるということです。この屋号そのものが、当たり前ですがぴのがいないと成立していませんし、何よりこうやって記事として文章を書く際にも、書く題材そのものとして中心的な役割を果たしている。先日のしょうもない創作会話の文章などは、その典型例でしょうし。

「テュル活」というワードを、日本に戻ってきてからしょっちゅう使っている私ですが、それが成立しているのはどう考えても、ぴのがいてくれるからですよね。

なんせ彼自身が、トルコと縁があるどころではない(というか、トルコ出身というこのゆるぎない事実!)存在なのですから。彼と生活すること自体がもう、「テュル活」とも言えるわけです。

半分冗談で「社長」と彼のことをSNSでも呼んでいるわけですが、あながち間違っていないよなとも思います。

玄関で祖母と戯れるぴの(2021年11月、長崎)。
これもきっと、いずれ忘れられない写真になるように思います。

ぴのが人をひきつけて、実務は私が担当する。理想のペアじゃあありませんか…?そう考えてみると、「オフィスぴの吉」という屋号、なかなか悪くないんじゃないかと改めて思う次第です。

4. 羽生夫妻認定のカワいさだからな!

ぴのといえば、トルコにいた頃に話が戻るのですが、偶然シェアしていた写真付きのツイートが、あの羽生ご夫妻の目に止まったこともありました

私は2014年末にトルコに着任してから、当地で再び将棋を指すようになりました。トルコにいた職場が大学の日本語学科で、文化活動の一つに将棋部というのがあったのです。

将棋に興味がある人っているのかと思っていたら、実際に指したいという学生が数名いたのと、同僚のトルコ人の先生にも一人大変お強い方がいらして、一度その先生になかなかにプライドを刺激されるような敗北を喫したのがきっかけで、これはせっかくだからもう一度ちゃんと将棋を自分でも勉強してみようかと思ったのでした。

そこからトルコにいる間、ずっと将棋を続けていたことが幸いした、ということです。

将棋を指していなければ、理恵さんの目に留まることはなかったかもしれないし、またぴのと出会っていなければ、将棋は続けていたかもしれませんが羽生ご夫妻からのうれしい一言を賜ることもなかったわけですから。

5. あるじへ:今後ともどうぞよろしゅうに

こうやって書き出してみると、招き猫…いや、福の神?いやいや、それどころではない幸運をもたらしてくれる存在だよなと思います。こちらは彼から、もらってばっかりなのかもしれません。

安全な家の中で生活してもらっていること、ごはんと水の心配をさせないこと、そして遊び相手になっていること等々は、果たして彼がもたらしてくれるさまざまな幸運の対価として釣り合っているでしょうか。

まだ愛し方が足りない?もしそうだとしたら、ちょっと申し訳ないですね…。ひとえに、私めの不徳の致すところに他なりません。

まあでもあるじ、人生(猫生?)はまだまだ長いのです。いくらでもお返しし続けましょうぞ。

なんせこちらには、トルコからはるばる10000km近くも離れた国、日本に連れてきたという責任だってあるんですから。

最近のぴの(2021年11月撮影)。家の中、お気に入りの場所も何箇所か確保しているようです。

これから先、なにが起こるかはわかりませんが、まあ気長に生活していきましょうね。二人三脚(ニャニャン三脚…?)で、とにかくささやかでも楽しい日々を過ごせることを祈りつつ。

以上猫の日に捧げる雑文ということで、このあたりで締めたいと思います。皆様にとっても、よき猫の日になりますように。Kedi günümüz mutlu, kutlu ve hayırlı olsun!

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