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いよいよ春到来:ノヴルーズおめでとうございます

昨日3月20日にアゼルバイジャンつながりのフォロワーからもらったリプライの写真を見て、そういえばそろそろ今年もイラン暦の正月、「ノヴルーズ」だったことを思い出す始末。

そうそう。すっかり忘れていました。
自分は日本にいるということもありますし、生活に何が関係するというわけではないですが、「ノヴルーズ」はアゼルバイジャンも含めてイラン暦が関わる地域にとっては重要な祭日。

私自身はアゼルバイジャンの人たちと関わったり、アゼルバイジャン語をやるようになってからこのノヴルーズというものを知るようになりました。トルコ語をやっているときも、ノヴルーズを祝福する人たちはいたのですが、その範囲は限定的だったように思います。

2017年3月、バクー旧市街の夜。知り合いと食事をしているところ、
ノヴルーズを祝福する花火が打ち上げられました。当日、たしか大統領が来ていたとか。

そうかあ、一部の人たちにとっては大事な日なのだなあ…と思っていた程度だったのです。中央アジア、あとはクルド系の人々を含む東部の人たちがお祝いしているんだなあ、という認識もありました。だけど、その程度。

市場。ノヴルーズにちなんだ紙袋が並んでいました。(2017年3月)

それが、アゼルバイジャンではそれこそ国を挙げて祝祭の期間としているのだということを、最初の渡航のときに知らされたというか学んだのをよく覚えています。

アゼルバイジャンの最初の渡航の時期が2014年3月28日。思い返せば、まさにノヴルーズが明けた、春の雰囲気に満ちたムードでの「南コーカサス日本語教育大会」だったのですね。

その後縁あって、何度か自分でもアゼルバイジャンを訪れるようになったのはこれまで書いてきた通りですが、そうか…と。考えれば、私自身のアゼルバイジャン語ライフも、ノヴルーズ明けのタイミングで始まったといえないこともないなあ、などと思います。

これも2017年の撮影。この年はノヴルーズ前のタイミングで日本語教師会があり、私と同僚がアンカラからご招待を受けて参加する機会を得ていました。行ってみるとバクー国立大学でノヴルーズを祝うイベントが開催されていて、日本語教師会の途中だったのにそちらのほうに参加してくださいという大学側からの要請があったらしく、プログラムを一度中断してイベントに参加したのを覚えています(長いキャプションだなオイ)。

イラン暦ながら新年、ノヴルーズ。それが明けたタイミングでの、最初の渡航からはや8年ですか。
すごいな。時間が経つののなんと早いことでしょうか。

この間、アゼルバイジャン語が気がつけば自分のライフワークの一つになっていることを、改めてうれしく思います。
トルコ語もやるし、アゼルバイジャン語もやるよと言える自分…フフン悪くないな✨ と。

どんな食事がノヴルーズの食卓に出るかは、アゼルバイジャン国内の地域ごとにバリエーションがあるんだよ…という話だったように記憶しています。

その最初のころを思い出しなどしながら、また心機一転テュル活に邁進していこうと思うのでありました。嗚呼しかし、翻って日本では連休最終日ですなあ…せっかくの休日、できる仕事を進めましょう…

あらためて、Novruz Bayramınız mübarək!(ノヴルーズ祭おめでとうございます!)

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