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【テュル活】テュルク諸語から入る『星の王子さま』(6): トルコ語アンテプ方言からの、方言辞典を買っておけばよかったという軽い後悔

アンカラに5年ほど住みましたが、今考えても自分にとって何がよかったかと言って、

・書店にすぐ通える
・書店にない本でも、ネットで注文すれば数日中にだいたいは手に入る
・トルコ語を使わなければならない環境に身を置ける

ということがありました。これらは当地にいるときには、当たり前すぎてそのありがたさを認識はしていても、よく理解していなかったのではないかという若干の後悔を、今更になってしているところです。

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『星の王子さま』の多言語翻訳版の話を最近noteでよく書いているところですが、昨日の記事のテーマがキプロス方言でした。そういえば、もう一冊トルコ語の方言のを入手していたな、ということを思い出しまして本棚から引っ張り出してきたのですが。

とりあえず、書誌情報を書いておきます。以下、例文はすべて下記書籍からの引用です。このことを明記したうえで、アンテプ方言の話を少しだけしてみようと思います。

Antoine de Saint-Exupéry (Melissa Mey, Yücel Nebahat訳)(2021) Güccük Pirens. İstanbul: İnkılap.

そうです。こちらは、トルコのアンテプ(ガズィアンテプ)方言に翻訳されたもの。キプロス方言版よりも以前に入手していたのですがタイミングを逃して記事は書けずにいたのでありました。ちなみに位置は、下記の地図をご参照ください。

さて、訳書。表紙のインパクトもさることながら、その方言の形式が興味深いのです。たとえば動詞形式の語末部分。共通語なら現在形で-iyor/-uyor... となりそうなところ、-iy/-uy...という語尾になっているのが観察されます。

Biliysin... Birisi yeğn marah eddeğnde gün gavışmasını seviy. (p26)

私なりに分析してみると(間違っている部分があるかもしれないことはお断りしておきます)、こんな感じかと。なお、いつものごとく以下例文ではハイフンは接辞や形態素の境界線、二重線は付属語との境界線を示しています。

(1) Bil-iy=sin... Birisi yeğn marah ed-değ-nde gün gavış-ma-sı-nı sev-iy.
知る-現在=2単 人 とても 心配 する-分詞-位置格 太陽 沈む-動名詞-3単-限定目的格 好む-現在
「知ってるだろう…人はとても心配しているときに、日が沈むのを好むんだ」

共通語なら、(1)に近い形で表現するのであれば(2)のような感じになるのだろうと思います(ただし、筆者(私)は当然のごとく、トルコ語母語話者ではないことは差し引いて(2)を見てください)。

(2) Bil-iyor=sun... Birisi çok merak et-tiğ-i-nde gün kavuş-ma-sı-nı sev-er.
知る-現在=2単 人 とても 心配 する-分詞-位置格 太陽 沈む-動名詞-3単-限定目的格 好む-現在
(訳は(1)と等しくなることを意図して(2)を作例しています。また、最後のsev-erは現在形(sev-iyor)にはせず、筆者が意図的に中立形にしてあります)

(1)を見て一瞬「ん?わからんなこれ」となったのはmarahという語。
しばらくして、ああ共通語のmerak(「心配、不安」)かな、と想像できたのですが。

ひとまず、各語の意味はオンラインでトルコの公的機関である「トルコ言語協会」(Türk Dil Kurumu)によるトルコ語の方言辞典(Derleme Sözlüğü)も参照してみています。以下のリンク先から利用できます。

その他のページも、興味深い表現形式が満載。これぞアンテプ方言、という感じがトルコ語母語話者ならとりわけ感じられるということなのだろうな、と私は想像を巡らせます。

ちなみに。「あのフレーズ」は、こんな感じになっていました。

Esas olan şey gözünnen görükmiy. (p68)

我流の分析で、母語話者に対しても裏付けを取っていないですが、おそらく(3)のようなことなのだろうと見ています。

(3) Esas ol-an şey göz-ün-nen görük-m-iy.
本質的 である-分詞 こと 目-君の-共同格 見える-否定-現在
「本質的なことは、目では見えない。」

アンテプではないのですが、昔2013年にプライベートでアナトリア南東部の旅行に行ったことがありました。アンテプももちろん訪問したのですが、その前にアンテプの近く、ウルファという街では歩いていたときに子どもたちに囲まれたことがありました。

日本人の観光客が珍しかったのだろうと今になって思うのですが、その時に少し話をすることができまして、「ウルファのトルコ語はイスタンブルのそれとは違うの?」という趣旨のことを彼らに聞いてみたことがありました。

その時もたしか、動詞が上述のアンテプ方言と似たような言い方をするんだ、というようなことを教えてもらったようなかすかな記憶があります。うろ覚えではあるのですが、そんなことも思い出すなどしました。

というわけで、キプロス方言ともまた違ったトルコ語の一変種。自分にとっても、とても興味深く感じられます。日本語の諸方言が興味深いのとまったく同様に、一口にトルコ語といっても多様なんだ、ということの一端に、ささやかながら触れられたというのは収穫でありました。

そんなわけで…上述の『方言辞典』です。紙版のががぜんほしくなりましたよね…!トルコに5年も住んでいて、なぜここに興味を持たなかったのか。アゼルバイジャン語に気を取られすぎていましたかね…?

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