退屈な老後にはならんじゃろうて
昨晩ツイッターで、いいねの数だけ「自己紹介ツイート」をされている方をふとお見掛けしたので、ああそれ楽しそうだなと思ってやってみましたら、予想外にたくさん反応をいただいたので大変ようございました。
一連のツイートはこちらからどうぞ。自己紹介の文章じたいはnoteでも書いていますが、もうちょっとパーソナルな内容をツイートしています。
75個も質問がありまして、全部答えるまでいくんかいなとも思ったのですが、みなさんの「いいね」が75に届きましたからこれはこれでうれしいことでした。まあそれはさておいて。
この質問のうち、「部屋の一部の写真」というのがありました。あまり部屋はきれいなほうではないので、こういう質問には毎度同じような写真で恐縮ながら、本棚を撮った写真を出すようにしています。
ツイッターで出した写真はこちら。
持っている本の一部ではあるのですが、トルコ語とアゼルバイジャン語関係の本で埋まっている棚はこちら。まだ開いてもいない本もたくさん抱えているというのが正直なところです。
「こんなにたくさん買ってどうするんだ」というのは、実の父親からたまに聞かれて返答に困ったりはするのですが。ただこういった本、今は読めていないにしても、いずれいよいよ何もすることがなくなった時に読める娯楽という考え方はできるな、と。写真を挙げてみて改めてそう思いました。
トルコ語の小説もアゼルバイジャン語の小説も、全然読めてはいないですが何冊か買っているし。まだ活躍の場がないトルコ語の哲学用語事典なり経済用語事典も、場合によっては日の目を見る日がくるかもしれないですし。
こうやって考えますに、お金については老後困ることはあるかもしれない(可能性は高そう)。ですが、することがなくてどうしようもないということにはならないだろうなという意味では、それはそれで貴重な財産と考えることはできるように思います。今の時期というのは、そのお金的なものではない財産を形成しているのだ、と。
お金にしても本にしても、死後にもっていけないというのは同じですけどね。まあ私の場合、お金が残って…ということにはならなさそうな気はしますし、本をどうするかのほうが懸案事項…という話も書いたことがありました。
それについてはまた別に考えることにしましょう。とりあえずは、本に囲まれて過ごす老後を目指す生活としゃれこもうやありまへんか、ということで。
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