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オレ亡き後のテュルク諸語関連書籍について

あまり意味のないこととは知りつつ、アンカラにいたころに自宅に本が何冊あるか数えたことがあります。職場にもかなりの冊数置いていたので、自分の所有していた本の正確な数字ではないのですが、700冊以上はあったようです。トルコ滞在中に買った現地の出版物が大半だったと思います。

それらの一部は持って帰らずに、そのままアンカラに置いてきました。職場にもよかったら使ってくださいということで日本語関係の本は何冊か置いてきたし、同市の南西部にあるOr-Anというところ、トルコ・日本基金の図書室には漫画や一般書等もけっこうな数を寄付したと記憶しています。

それでも残った本はかなりの数。知り合いの古書店の店主さんに頼んで、帰国を決意してから少しずつ小包で日本に送っていっていましたが、出費も含めて、再び日本に持って帰ってくるという作業はずいぶん苦労したものです。

それからまた月日が経って現在。今更ですが、本というものは生きていたら勝手に増えていくものなんですよね…!いただいたりするご著書もあるかと思えば、突然やりたくなった言語の語学書も増えていきますし、なんなら自分が一部書いた雑誌等の出版物なども届いたりします。そうしますと、どういうことがおこるか。そう…床がたわんできたりするのですねえ。

今「オフィスぴの吉」が使わせてもらっている部屋の床、私が長崎の自宅に戻ってくる以前からややたわんでいたという話はあるらしいのですが、そこへ私が数百冊のトルコやらアゼルバイジャンやらで入手した本を持って帰ってきたものだからさあ大変です。まだ今のところは床が抜けたりなどはしていないのですが、このまま無神経にやっているといつかは…という心配はあります。

そんなわけで、本は置いておくスペースにも限界がありますし、昨年末にもアゼルバイジャンからまあまあの点数資料や本を持って帰ってきた時も、実家の家族がえ、また?という表情だったのを私は見逃しませんでした(本ばっかりでスマン、とは言いましたが)。

いや、たしかに。こんなに買って、どうするんだオレ…と思わない瞬間、ないわけではないですよねえ…

それに、これらの本は今はいいとしても、数十年後はどうするのか?という話を先日実家でしていたところでした。

いや、たしかに。今更なことを言いますがが、本はあの世には持っていけないのですよね。とすれば、せっかく必死に持って帰ってきたアゼルバイジャン語各種辞書はもちろんのこと、トルコ語文法のなんやかんやの本も、その他の言語の各種語学書も…

そういった本をどうするかということは、今のうちから考えておかないといけないなあと思います。

和書はともかく、テュルク諸語の本は…(もちろん、数十年後にその価値がどうなっているかはわかりませんが)昨今は図書館に寄贈するというのも難しいご時世(受け入れてもらえるところは多くないらしいですね!実際、スペースないでしょうし)だそうで。

考えられる最善策は、自分の死期が近い頃にこれからという若い世代のテュル活民各位(そんな人たちがその時にいればですけど)にそのままお譲りすることなのだろうなとは思うのですが、本のあるところまで取りに来てもらうのか、はたまたご要望に応じてこちらからちくちくと郵送していくことになるのか。

なんにせよ、簡単な話ではないのでしょうからね。そして、こういう悩みを抱えているのは自分だけではないのだろうなということも重々承知で、今のうちに宣言だけはしておこうかなと思います。

どうせ、日本じゃテュルク諸語で書かれた本はまともに古本として売れたりするわけじゃなし。テュル活民各位は、ワイがいよいよ危なそうだなと思ったらどうぞお気軽にお声かけいただきたいと存じます。

「そろそろアレのようでしたら、お持ちの本などいただきたく」とかなんとか、そういうノリでけっこうですのでね…たぶん…キレない保証はないけど…でも、もちろん未来のことですから何がいつどうなるかわかりませんが、お役に立てるということがあるのならそのときは然るべき人が所有を受け継いでくれるというのが最善だろうなという考えは変わらないだろうと思います。なんかいい方策はないものですかのう。

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