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フクシマからの報告 2021年春    汚染土の埋立地にされても       家族が幸せに暮らした街を守る     津波で娘・妻・父を亡くした       大熊町・木村紀夫さんの静かな抵抗

 今回の報告は、2021年2月11日付け「フクシマからの報告」で書いた記事
「10年前見た行方不明の家族を探すチラシ そのお父さんにようやく会えた 自宅跡は核のゴミ捨て場に それでもなお娘の体を捜し続ける」の続きである。

ちらし

(上は木村さんが2011年春当時、避難所や市役所に貼って回ったチラシ。私は南相馬市役所ホールの掲示板で見た)

 福島県大熊町、福島第一原発から南に4キロの海岸部に住んでいた木村紀夫さん(55)は、2011年3月11日に起きた津波で次女汐凪ちゃん(7 )、奥さんの深雪さん(37)、父親の王太朗さん(77)の3人を亡くした。

 同日夕方、仕事先から自宅跡に戻った木村さんは、行方不明だった3人を徹夜で探した。暗闇の中、懐中電灯を頼りに瓦礫の中を探し回ったが、見つからなかった。

 翌12日明け方には、福島第一原発でメルトダウン危機が進行し、国は大熊町民全員に強制的な避難を命じた。期限は午前8時だった。木村さんも捜索を打ち切って自宅跡を去らざるをえなかった。

 そのまま自宅跡は原発事故の高濃度の汚染のために立ち入り禁止になった。家族を探して自宅跡に行くたびに、許可が必要になった。

 王太朗さんの遺体は、震災約1ヶ月後の2011年4月に自宅跡前の田んぼで発見された。妻の深雪さんは、同年6月に見つかった遺体のDNAが一致した。自宅跡から約40㌔南に離れた、いわき市の沖合200メートルの海上だった。

 汐凪ちゃんの遺体はなかなか見つからなかった。木村さんは自宅跡に(多いときは年150回近く)通い続け、一人手で瓦礫を掘り起こし、汐凪ちゃんを探し続けた。ボランティアの応援が参加しても手作業は変わらなかった。

 自宅から200㍍離れた地点で、汐凪ちゃんのマフラーが見つかり、その中から顎・首の骨の一部が見つかったのは2016年12月。震災から5年9ヶ月が経っていた。

 まだ汐凪ちゃんの遺体が見つかっていなかったころ、中間貯蔵施設建設の住民説明のため、環境省の官僚たちがやってきた。質疑応答をするうちに「まだ遺体の見つからない行方不明者がいる」ことを担当者が知らないことがわかった。

 その後も、木村さんは自宅跡に通い続け、そこから「大熊未来塾」という名前でネットで情報の発信を続けている。「自分が続けないと、何もなかったことにされてしまう」という思いがあるからだ。

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 2011年3月12日未明、最後の捜索をした地元消防団の人が、木村さんの自宅近くで、暗闇のなか、男性のうめき声がするのを聞いた。しかし強制避難が迫り、探し続けることができなかった。それは後に王太朗さんの遺体が見つかった付近だった。汐凪ちゃんも、海に流されてしまったのではなく、自宅近くで遺骨が見つかった。

「もし原発事故が起きず、翌日も捜索を続けることができたなら、家族を助け出すことができたのではないか」。

 木村さんの脳裏からそんな疑問が消せなくなった。

 前回の記事では、2021年1月25日に福島県大熊町で木村紀夫さんに会って話を聞いた一問一答を書いた。その時、木村さんは私をかつての自宅跡に連れて行ってくださる予定だった。

 木村さんの自宅のあった場所は国が設置した「中間貯蔵施設」という、除染で出た汚染土の埋め立て地に組み込まれてしまった。その敷地に入るには、元住民であっても、大熊町の許可が必要である。

 木村さんは、私の同行の許可を町に申請した。しかし「東京から来た記者はコロナウイルスを持っている可能性がある」と町は許可を出さなかった。

 仕方なく、私は次のチャンスを待つことにした。それが実現したのが、同年4月16日である。

 私は木村さんの運転するクルマの助手席に乗り、中間貯蔵施設のゲートをくぐり、ご自宅跡に向かった。

 ゲートの内側には、信じられない光景が広がっていた。汐凪ちゃんの通っていた熊町小学校や児童館、幼稚園や団地、商店がそのまま中間貯蔵施設の中に残っていた。街がまるごと汚染土の埋立地にされてしまったのである(下は福島県大熊町『中間貯蔵工事情報センター』展示の空撮写真)。

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 調べてみると、中間貯蔵施設の大きさは16平方キロ。これは東京都渋谷区(15平方キロ)より広い。福島第一原発を真ん中に、大熊町と双葉町にまたがるその面積には、3.11までは4900人の人々が暮らしていた。

 木村さんと、汐凪ちゃんたちが暮らした街に、やっと行けた。その報告を今回は書く。

(カバー写真は、津波で建物が半分削られた集会所跡。木村さんはフラワーポッドを置いて花を育てている=2021年4月16日、福島県大熊町熊川で)


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