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本気で生きる。〜家庭編〜

「本気で生きる。」
一人でいる時間、自宅にいる空間、家族といるひととき。
その一コマにも本気はある。それを言葉に紡ごう。

最近頭の中を交差している様々なテーマについて書きます。
本記事は、家庭の視点について取り上げます。
全部のテーマが合わせると「僕の本気」の全体像が分かるよう構成しています。

SNSについて

仕事・事業について

学業について

家庭について

もしかすると、文字にするのが一番抵抗のある領域かも。最初はそう思っていましたが、実際にパソコンに向かっていると意外とそうでもないようです。プライベートな部分になりますが、あくまでも僕の視点だけを描写して書こうと思います。(見る方もどんなスタンスで見たらいいのかと迷われるかもなと思うので、前もって言っておきますね。こんな視点もあるのね!くらいの気持ちで見てくれると安心します)

現在は結婚3年目。妻と2人暮らしの日常です。高校卒業してから1人暮らしを15年する中で「誰かと一緒に住む」ことに強い抵抗がありました。

ちょっとした物音、動き、触覚が気になってしまうから。遠征先のホテルに泊まったり、以前いた吹奏楽団での合宿に参加したりで、その都度寝不足になるということがありました。いつもと違う環境ではリラックスできない、というのもあります。慣れた自分一人の空間がどれだけ大切なのかを実感し、それが当たり前になっていた僕としては、誰かと住むことへのハードルはとても高かったのです。

結婚は「一生一緒に過ごせると思える人」とじゃないとなぁ・・・
心理学に出会って自分と向き合うようになった時、結婚したいと思っているけど、そう思える人が見つかるのだろうか。そんな疑問をしばらく抱いたまま過ごしていました。

しかし、心だけではなく身体も緩み、HSP概念を深く学ぶようになってから、ハードルは無くなっていきました。

なぜ無くなったのかというと、「敏感で繊細な自分でもOK」と自分で受け入れられるようになったからです。厳密に言えば、自分でそうさせているというよりも、身体の仕組み(神経処理の深さや脳の活性化領域)でそうなっているのだと知ったから。「鈍感がいい・敏感がダメ・強くあれ」という昔の男性像に当てはめなくていいと分かったから。
2019年当時、HSPの講座に参加した時、墓場まで持っていこうと思っていたことを赤裸々に話したとき、初めてそこにいる皆様が首がもぎれそうなくらいに頷いてくれました。初めての経験から『自分は自分でいいんだ。他の人と違くていいんだ』とやっと認められたのです。

心理学を学ぶ過程の中で、僕は自分のことを「男であってはいけない」という禁止令を課していたとわかりました。幼少期から見た目が華奢な色白で中性的(どちらかというと女性っぽい)と言われていたからです。それまでは頑張って「世間が思う男性像」に寄せようとしていました。どれだけ努力しても苦しいし、敏感性がより強く出てくる。そんな自分が嫌になっていたのです。

これからは、自分を嫌いにならなくていいし、男性像というものは存在しないから、自分は自分でいい。そう思えました。

そこから自己開示を始めました。当時はFacebookのライブ配信で毎朝480日連続で行っていました。サラリーマン業務の前20分前後を使って。心理のこと、体と心の連動について、HSPのこと、瞑想のこと、ディジュリドゥのこと。今までの学びと気づきと変化について全てをさらけ出しました。

このライブ配信から、ご縁が広がって今のクリニック勤務につながっていますし、サラリーマンを辞めてフリーランスになろうと決断できました。そして、自分を偽らずに、自分が成し得たいことを実現するまで進み続ける覚悟が芽生えました。

妻と出会ったのはこのタイミングでした。お付き合いして1年、婚約して1年とじっくりと時間をかけながら、2人ぐらしが始まりました。
「自分のままでいい」という新しい捉え方で生きるようになったら、初めはやっぱり音や妻の存在感や物の多さが気になったものの、徐々に慣れていきました。

とはいえ、現在でも気になってしまうことはたくさんあります。

・洗濯物の干す位置がバラバラなこと
・四角い部屋を丸く掃除すること
・排水溝など汚れがひどいものも軽くサーっと拭いて落ちていないこと
・細々したものが徐々に積み重なっていくこと
・しばらく使っていないものがあること
・床にものが置かれていること
・妻が止め忘れた目覚ましアラームで中途覚醒が起きる

2人暮らしの当初は、もっとたくさんあったと思いますが、もう思い出せないくらいになりました。僕が慣れたのか、受け止め方が緩んできたからなのかわかりませんが、「妻だからいいんだ」ということなのでしょう。上記のようなことは今でも気になってしまいますが、その刺激以上に捉えなくていいと分かったので、「じゃあ俺がやればいっか〜」と納得できています。

元々の僕の理想から外れてしまうこともたくさんありますが、妻の視点も合わさることで、2人での新しい理想がうまれる。それは時には妥協もあるでしょうが、歩み寄りながら新しいものを作るという過程にもなっているなと気づきます。

一人暮らしではしていなかった料理も自然とやるようになりました。

最近僕がつくったガパオライス✨美味しくできました!

自分一人のためではできないことでも、誰かのためにならできることもある。そんな経験をさせてくれているのは妻のおかげです。

料理だけではないですが、時にはやる気が出なかったり、他のことに追われて結果できなかったりします。一人暮らしの時は、できるのにできない自分を責めるきっかけになっていましたが、「そんな時もあるよね」と言ってくれて、できなくてもいいんだと思えました。「できない」という状態を俯瞰して捉えられるようになったのも、2人暮らしを始めてからです。

フリーランスという形態からも、家事をする比率は僕の方が若干多いです。どちらがやるというよりも、できる方ができる分だけやる、というスタンスでやっているので、もしどっちもできなかったらやらない。以前の「全部自分がやらないとダメ!」から解放されるとこんなに楽なのだと感じさせてくれます笑

家庭の中でも、まだまだ「完璧にやりたい」自分が顔を出します。家事にしても、2人の時間にしても、これからも計画にしても。その度にちょっとした違和感や言いたいことが溜まって爆発する、ということが起こります(その度に反省します)。今までならそうならないように自分が諦めたり、避けていましたが、今ではお互いが爆発した時はしんどいですが、お互いが冷静でいられて思いやりを持てるように意識しているので、少しずつですが大切なことも話ができるようになりました。

完璧な人はいない、と頭では分かっていても、つい完璧を自分にも妻にも求めてしまう。その姿勢が関係を拗らせる入り口になると痛感しています。だから、まずは僕自身が完璧主義をゆるめていきました。前に書いたSNSも、仕事・事業も、学業もそうです。ほどほどの時があってもいい、全くやらない時があってもいい、全力でやる時もいいし、中途半端でもいい。ただ今その時にできる分だけをやっていく。できないときは頼る。それを守れる自分でいられるようにしています。

つらつらと書いてしまいましたが、家庭における「本気」を表すならこうです。

・自分の視点と妻の視点は違う。
 どちらもあっていいし無理して合わせなくていい。
・妻の行動や言動に反応している時は
 自分の当たり前や前提に固執していると気づく
・ありがとうとごめんなさいを素直に伝える
・完璧主義をゆるめ、今のちょうどいいに沿って行動する
・ひとりで背負わずに話す、頼る、お願いする

いかがだったでしょうか?この記事では家庭の視点から、僕のスタンスについて書きました。共感するところや、ご意見などあれば、コメントいただければ嬉しいです!

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

宇賀神

自分について

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