環七

言葉は実際、風に乗る

隣町の隣町の隣町まで

 あなたは、走行中のクルマの窓からゲロを吐いたことがあるだろうか? 僕は一度だけある。乗り物酔いしやすい体質だった小学生のころ、父の運転するクルマの後部座席から外に吐いた。エチケット袋が欲しい、と親に訴える暇もないほどクイックにそれはこみ上げてきたのだ。
 「もんじゃ焼き」状になったブツはクルマの後方へと吹っ飛んでいったが、その行き先を見たくなくて、目を背けてしまった。ごめんなさい。こんな汚い書き出しで、ごめんなさい。乗り物って向かい風を呼ぶよね、という話をしようとしたんだった。

* * *

 「ベビーカー、ちあい(きらい)!」と、わが娘コケコが乗車拒否するようになったのは昨年末、1歳半を過ぎた頃で、結局このベビーカーは1年程度しか使わなかったことになる。ああ、もったいない(あれ高かったんだけどな)。そしてベビーカーが封じられると、どこへ連れて行くときも僕たち大人は「歩きまわるコケコをケアしながら歩く」ほかなく、これがけっこうめんどくさい。
 そこで今年の3月、ついに「電動アシスト付き自転車」を買った。

 以来、僕は保育園の送り迎えを、ほぼすべてこれでやっている。
 電動アシストのパワーは3段階。子どもの座席は後部にある。雨の日は、専用のカバーをシートに装着し、まったく濡れないコックピットが出来上がる(ただし僕は濡れる)。
 以前の記事に書いたように、わが家では送り迎えの93%くらいを僕が担っているから、この自転車はほとんど僕のためにあると言っていい。 

 夕方6時、保育園でコケコを受け取ってシートに座らせる。シートベルトを締め、ヘルメットを装着させる。自転車だと家までたったの3分なんだけれど、同じ頃に帰宅した妻(時短勤務中)が夕食の支度に集中できるように、僕とコケコは時間稼ぎをしたいところなのだ。

 そうして苦肉の策で始めたのが、「小一時間、サイクリングをしてから帰宅する」習慣だった。1時間ほど連れ回すことで、コケコのお腹がちょうどいい具合に空いたりもするし、僕のダイエットにもなる。自転車で1時間は長くないかって?長いです。それなりの移動距離になる。

 保育園帰りなのに、わざわざ隣町まで。隣町の隣町まで。そのまた隣町ぐらいまでは行けてしまう。5~6キロ走ったりするのだ。飽きないように、毎日コースを変える。春から夏にかけてコケコと2人、あっちこっちを徘徊した。たそがれせまる街並や車の流れを横目で追い越して、街はding-dong遠ざかってゆくわ。

 東京の固有名詞をちょっとだけ出すと、この寄り道でたとえば方南町(杉並区)に行ったし、富ヶ谷(渋谷区)に行ったし、千歳船橋(世田谷区)にも行った。
 環七を走りながら、のぼりたての月を見た。複雑な路地(暗渠?)に迷い込み、GPSで現在位置を確認しようとしたらケータイが電池切れで困った。行った先でフルーツロールを買った。パンも買った。むかし不動産屋と内見した物件のそばをたまたま通ったりもした。「いまごろ、このへんに住んでたかもしれないんだよ」

風もまた乗り物だ

 漕ぎながら、僕はコケコに話しかける。「夏になったら温泉に行こうかってママと話してたんだ」コケコはたずねる。「おんせんって、なあに?」。僕は説明する。「ひろーい畳と、でっかいお風呂があって、あとね、お外にお風呂があるの」「おんせん、いきたい」「行きたいよね。行こう」「やだ!おんせんいくのぉ(泣)」「だから行くって」「いきたいぃ(泣)」「えっ、今かよ?」「うん」「そりゃ無理だわ~」。

 僕はデタラメに歌を歌う。「パパなにうたってんの?」とコケコが問う。「~てんの」という語尾はコケコの口癖だ。僕は答える。「これ?これはねー、ベン・ワット(笑)」「べん…わ…と?」「シブくてごめんね~」こんなふうに聞かれるのは良いほうのケースで、歌によっては歌い出し3音ぐらいで即座に「そのうただめ!」とか「そのうた、ちあい!」と拒絶されることも多い。シャッフル機能か俺は。   

 コケコから話しかけてくることもよくある。「パパー、俺たちもう終わっちゃったのかな」僕は答える。「バカヤロー、まだ始まっちゃいねえよ」。嘘、嘘。バカヤローなんて僕は絶対に言わないし。

 自転車の前と後ろで、そうやって喋ってばかりいる。
 僕の向いている方向にコケコはいないが、僕の声は発せられた瞬間、口の端から後方へ吹っ飛び、1mほど背後にあるコケコの耳に入る。向かい風が運んでくれるのだ。

 言葉が風に乗る、という表現はしばしばレトリックのように使われる。だけどあれ、必ずしもレトリックじゃなかったんだ!
 父と娘。隣に並ばず、前後に座ることで僕はそれを知る。この位置関係では、物理的にそうなるのだ。僕たちは自転車に乗り、僕の言葉は風に乗る。そしてペダルを漕いでいるあいだじゅう、風はある。互いの顔が見えなくても、大声じゃなくても、言葉はちゃんと届く。それが2人乗りというものだった。

 僕は滑舌がかなりしっかりしているほうなんだけれど、俺そういう声で良かったな。というのは、風に乗っても音声のかたちが崩れにくいことに気づいたからだ。そこが、「もんじゃ焼き」とは大きく違うところである。

 自転車の話はもうちょっとあるので、また次回書きますね。

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