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夜にしがみついて、それでちょっと思い出しただけ


 映画館に行った。僕は基本的に家で映画を観る。本当に今観たいなと思った作品じゃないと映画館に足を運ばない。

 久しぶりに観たいと思ったのは、松居大悟監督の「ちょっと思い出しただけ」。自分の好みとタイミングがぴったり合った。こんなことは滅多にない。

 ジャームッシュ「ナイト・オン・ザ・プラネット」、ウィノナ・ライダー、クリープハイプ、そしてコロナ。偶然が重なって、新宿テアトルに行こうと思った。

 池松壮亮さんと伊藤沙莉が主演の、少し変わったラブストーリー。脇を固める俳優さんも素晴らしかった。

 ある男女が過ごした6年間の軌跡、2人に何か特別な出来事が起きるわけでなく、ごく普通のカップルの出会いと別れが描かれている。ただ、その描写の時間軸は逆から、つまり別れた後の現在から始まり過去に遡っていく形で進んでゆく。映画が始まった時、2人はもう別の道を歩いていて、交わることはない。前情報なしに観に行くと戸惑う人もいるかもしれない。

 2021年7月、1年遅れでオリンピックが開催されるコロナ下の東京、代々木体育館。ある日の夜に新宿から高円寺へと向かったタクシー。些細な偶然で2人の人生はまた少しだけ交差する。そして、ちょっと思い出す。

 過去のある特定の1日を振り返る形で描かれていく群像。たった365分の1で、その合間に何があったのかは分からない。

 1年にたった1日、季節は夏。彼の誕生日。僕は去年の今頃に何をしてたっけ?マスクをしていたのは何時からだっけ?そうだ、誰もが何も気にせずに暮らしていた時間が確かにあった。当たり前のように恋愛をして、友達と会って、夢や目標を持って、挫折して失敗してまた立ち上がって。たくさんの出会いとすれ違いも、今ちょっと思い出すとくだらなくて恥ずかしくなる大切な日々だった。

 120分間、2人の6年間を観客として追体験して、改めて感じたことがあった。当たり前のことだけど、結果は後になって初めて分かる。そして、絶対に変えることのできない過去に原因がある。あの時素直になっていれば、違う道を選んでいたら。なんでああ言ってあげられなかったのか。行動も言葉も態度も、1通のLINEでさえも。何故かわからないけど後悔ばかりで、そんな思いを僕たちの誰もが持っている。

 後悔は先に立たない。こうあってほしかったよと映画の2人を観て思いつつ、これは僕ら皆の物語だと確信した。過程が在って結果がある。結果は覆らないけど、でも過程にはその時の自分にとって意味があるものだったんだ。そして今の自分にも何かしらの影響を与えている。それをひっくるめて、「僕」なんだ。

 この映画がこの形でなければ知ることが叶わなかった。後半になって明らかになっていく2人が過ごした日々は、劇的な何かが起こるわけではなく盛り上がりがあるかと言えばそうではないかもしれない。でも、2人にとっては大切に紡いできた日々だったんだ。この映画はハッピーエンドではない別れの話だけど、不思議と悲しくなかった。そう、些細なきっかけでほんのちょっと思い出しただけ。それくらいに留めておいた方が今はちょうどいい。

 生活の普遍性が失われている今。コロナ前はどうだったっけ?あの頃と引き換えに字幕より吹き替えで。否応なく変わっていく世界で、僕も含めてみんながこれまでの生活を思い出せなくなっているのかもしれない。そんな中にあって、ある1日を通じて、楽しかった日々を思い出させてくれたこの作品に感謝したい。そして、僕らはまた前を向いて生きていくことも。

 この映画を作るきっかけとなった「ナイト・オン・ザ・プラネット」、ジム・ジャームッシュ、ウィノナ・ライダー、クリープハイプ、尾崎世界観さん。時を越えて、色んな偶然と過程からこの映画が出来たことは奇跡なのかもしれない。

 もしもこの作品を観た人が居たら、帰り道に一駅分でいいから少し歩いて、聴いたことがある人もない人も、クリープハイプの「ナイト・オン・ザ・プラネット」を聴いてほしいと思った。

 夜にしがみついても必ず朝が来る。今になって思うと苦くて、その時のことを思い出すと甘くて、引きずっててもその時間は自分にとって大切で、この先もつま先の先の先まで照らしてくれる。

 いつか忘れてしまうかもしれない日々。でもたまには「ちょっと思い出しただけ」でいいから、忘れないでいたい。

#映画感想文

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