羅生門とサカナクションの夜

ひょんなことから全く関係のないって思っていたものが繋がることがあって、なかなか世の中は面白いものです。

仕事で、3年ぶりに芥川龍之介「羅生門」を読み直しました。雨降る夕方から夜にかけて展開される物語。最後は、「夜の底」「黒洞々たる夜」に消えていく下人。「下人の行方は、誰も知らない。」という、日本文学史に残る名文で締め括られるこのお話の中で、僕にとって印象的なのは、夜でした。

昼は人間が創った世界、夜は神が創った世界と言われるように、私たちの理解が及ばない出来事が起こりえるのが夜。
夕方(黄昏・たそがれ・誰そ彼)から、明け方(かわたれ・彼は誰)はその境界線に当たる時間帯です。「君の名は。」で有名になったこの言葉は、日本だけでなく世界に共通する不思議なことが起こる狭間として、パイレーツ・オブ・カリビアンのワールド・エンドでも取り上げられています。

羅生門の夜に起こる一連の出来事は、超常現象ではありません。しかし、人間の本質=表と裏があること・きれいごとだけでは生きていけないないという闇を表しています。その世界観に触れる中で、ふと思い出したのがサカナクションでした。

夜と言うと皆さんが何をイメージするか。恐らく自身が好きなものが思い浮かぶでしょう。個人の生き方や性質に寄るものだと思います。僕にとっては、本、映画、音楽なんですね。本ならば、石田衣良さんの「夜を守る」とか村上春樹さんの「アフターダーク」。映画なら、「ダイ・ハード1.2」、「ナイト・オン・ザ・プラネット」。
そして、音楽なら、kotoriのトーキョーナイトダイブ、クリープハイプの月の逆襲なんですが、印象として言えば、サカナクションなんです。

その幾つもの作品が急に羅生門のイメージに重なりました。夕日が落ちるまでの間に現れる鳥と陽炎。手に不安を握り、明日が見えないライトダンス。中盤の盛り上がりはダークでポップに仕上がっています。踊りながら逃げて自分の行く末を探し、アンダーで生きることを確認する。そして最後に、下人「僕は歩く」。

イメージって面白くて、人によって全然違いますよね。羅生門は暗い話で、ここに挙げたサカナクションの曲はアンダー以外明るい曲調です。しかし、その明るさに僕は下人の高揚感を感じました。先行きの見えない状況によってある種の興奮状態にある下人は、怖れと共に好奇心を秘めた若者でもあります。サカナクションの明るさは感情的なものと無機質なものが同居している。下人の心情と、荒れ果てた京都の都のどうにもならない感じと似ている気がします。起承転結が分かりやすく、劇画のような、幕のような構成。テーマである生と死やエゴイズムですが、バックミュージックは暗いものではない方がいい。語り手の存在も様々に言及される羅生門ですが、世界を創っている語り手の立場はどこか厭世観があるし、面白がっているようにも思う。それとサカナクションのポップと合わさって、新しい羅生門を感じました。

文字と音楽、更には映像と幾つもの情報が混ざり合うことで文学は変化する。下人の行方を追う私たちはどこかで高揚しているのでしょう。

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