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平和の神様と夏のお祭り――或いはその後の「スポーツの神様」

植戸万典(うえと かずのり)です。以前、「スポーツの神様」――資源活用事業#07を投稿しました。その続きとして。

そちらでも書いたとおり、自分自身スポーツは不得意な部類。せいぜい夏に水泳、冬にスキーをたしなむ程度で、或いは卓球とかしていた頃もあったけど、いずれ今の生活習慣に根付いているとは云えない。

ただ、スポーツとは縁遠くとも、運動会や体育祭だったら人並みの思い出はある。
万国旗はためく日本晴れの下、友人らとトラックを駆け抜け、声援を送り合ったあの時の昂揚感は、今も瑞々しい記憶だ。

あれから幾つの夏を越したか。2020年――、この年が世界中で疫病の猛威に戦々兢々とする年になろうとは、あの頃に誰が想像できただろう。この夏に日本で開催が予定されていた国際的なスポーツ競技会も、次の夏へと延期になった。
それが賢明な判断だったと、今の我々には祈ることしかできない。その競技会は世界の一流アスリートたちが一所に集い、国も人種もぐっちゃぐちゃに混ざり合って繰り広げる世界最大の「体育祭」なのだ。関係者それぞれ多くの思わくを抱いているのだろうが、1年後にはスポーツと縁遠い自分のような人間にとっても小学校のイヴェント以上に皆で盛りあがれる「お祭り」となっているはず。いや、必ずそうあって欲しい。

そもそも古代ギリシャの都市オリュンピアでは、4年に1度、主神ゼウスへ捧げる競技の祭典がおこなわれていた。歴史を学んだフランスのピエール・ド・クーベルタン男爵が主唱してこの大会を近代に復活させたのは1896年(明治29年)。これが現代まで続き、来たる東京大会が第32回となる。

古代ギリシャがそうであったように、日本においても競技は神に捧げるものでもあった。
「スポーツ」が日本で広まるのは明治以降だが、長い歴史のなかでは相撲や流鏑馬(やぶさめ)、競馬(くらべうま)、蹴鞠(けまり)など、さまざまな競技が神前において披露されてきた。境内の土俵で屈強な肉体がぶつかり合い、蹄(ひづめ)の音を轟かせて馬が駆け抜け、放たれた矢がひょうふっと風を切る。するとそこに、わっとあがる群衆の声――。
それは何かを願った神事や占いであるとともに、毎年神と一緒になって人々が楽しんできたものだ。なんと平和な光景であろうか。

4年毎に開かれる現在の競技大会も「平和の祭典」だという。しかし1940年(昭和15年)、日本では皇紀2600年を謳って冬に札幌、夏に東京でおこなうはずだったそれは、激化する大戦の影響も受けて幻の大会となった。
平和の祭典を中止させた戦争はその後、その幻の大会にも出場していただろうアスリートたちも戦地へ赴かせた。

東京は九段(くだん)の森に建つ遊就館(ゆうしゅうかん)を訪ねると、多くの英霊の写真にも出逢える。さまざまな想いを抱いて戦火に身を投じた彼らのポートレートのなかには、笑顔のアスリートのものも見られた。"バロン西(にし)"こと馬術競技の西竹一(にし たけいち)命は愛馬ウラヌス号とともに凛とたたずみ、競泳の河石達吾(かわいし たつご)命はロサンゼルスのまばゆい陽光を浴びる。軍人として日の丸を背に戦った彼ら英霊は、選手として日の丸を胸に戦う英雄だった。スポーツに縁ある神徳で崇敬される神社は今も各地で耳にするが、英霊のなかの幾柱(はしら)かは、生前は実際にスポーツに勤しんだ神様なのだ。

人は神に競技も捧げて平和を願ってきた。数々の熱戦が繰り広げられ、昨年リニューアルしたばかりの国立競技場も、明治神宮の外苑という神のお膝元。
80年前を顧みれば、国際的な競技会がおこなえるのも平和の証だ。そんな平和な世界のなか、多くの障壁も乗り越えた先で共にスポーツに沸く人々のことを、来たるその夏も「スポーツの神様」たちは見守り、一緒に楽しんでくださることだろう。

#コラム #ライター #神社 #スポーツ #オリンピック

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