植戸 万典

操觚の人(writer, editor)です。歴史とか神社とか、日本のアレコレが主な領…

植戸 万典

操觚の人(writer, editor)です。歴史とか神社とか、日本のアレコレが主な領域。顕名・匿名さまざまに、時々駄文を世間へお示ししています。Twitterは@gengakuya_san。ひっそりブログも運用中(https://pedantry.hatenablog.jp)。

マガジン

  • 植戸万典の資源活用事業

    操觚の人・植戸万典がこれまで発表してきたけど今は読めない記事を再利用する、環境に優しいまとめです。

最近の記事

「春の福を待ち兼ねる」——資源活用事業#34

植戸万典です。待ち兼ねた春と恨めしい花粉のジレンマを抱えた一人です。 花粉の時期の終わりが待ち遠しいですが、そのくらいの時期になるとそろそろ梅雨の終わりが待ち遠しくなり、またさらにその頃になると秋の涼風が待ち遠しくなるのだろうな、と半ば諦めています。 世の中、待っているだけではなかなかままならないものです。 コラム「春の福を待ち兼ねる」「春の福を待ち兼ねる」のオーディオコメンタリーめいたもの能登半島地震を受けて差し替えた原稿「龍の年にあけまして」の前に辰年最初のコラムとし

    • 「龍の年にあけまして」——資源活用事業#33

      植戸万典です。桃の節句の挨拶は「おめでとう」で良いのでしょうか。 能登半島地震から2か月が経ち、状況も一息ついた頃となりましょう。なので今回は年始に書いたコラムをば。 恒例なので一応書いておくと、寄稿したときは歴史的仮名遣ひでした。一応。 コラム「龍の年にあけまして」「龍の年にあけまして」のオーディオコメンタリーめいたもの本コラムの原稿〆切は年明けすぐでした。仕事始めと同時に編輯に進められる日程です。なので旧年中には別稿を仕上げ、なんやかんやと大晦日を過ごしていました。

      • 「大一大万大吉」——資源活用事業#32

        植戸万典です。今年は「あけましておめでとう」とはなかなか言いづらい新春となりました。 こういうときこそ一致団結が大切だ、ということは言われがちですし、それそのものは否定するつもりもないのですが、こういうときの「絆」だとか「ワンフォーオール、オールフォーワン」だとかにはちょっと眉に唾つけてしまいます。 コラム「大一大万大吉」一応書いておくと、『神社新報』掲載時は歴史的仮名遣ひでした。 「大一大万大吉」のオーディオコメンタリーめいたもの「大一大万大吉」が「一人が万民のため…

        • 「こだわりの怪」——資源活用事業#31、或いは自分が物書き的にこだわったりこだわらなかったりしている一つ二つ

          植戸万典です。この世には不思議なことなど何もないのだよ。 人にはそれぞれこだわりがあるように、逆に不思議とそれぞれ全くこだわらないところも人にはあります。 自分自身もそれなりの年月を神社界に関わってきたなかでの反省もあるのですが、「国家神道」とか「神社神道」とかを今の神社界の人たちも結構印象論で使っているのではないかと見ていて思います。 おおらかと言えばおおらかですよね、自らの信仰の根幹にかかわることなのに。そこをこだわらないのか、と。 ちなみに自分は仮名遣いに関してべつ

        「春の福を待ち兼ねる」——資源活用事業#34

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        • 植戸万典の資源活用事業
          35本

        記事

          「海の日に当つて」——資源活用事業#30

          植戸万典です。8月11日は山の日です。 海の日があるなら「山の日」も欲しい、でもこれ以上祝日を増やすと経済活動への影響が心配、ならばお盆休みに連動させて直前の8月12日ではどうか、それは日航機墜落事故(1985年)の日なうえに事故現場も山だからいかがなものだろう、だったらさらにその前日の8月11日にしよう——といった経緯で制定されたようです。 正直、由来もなにもあったもんじゃないなと制定されたころは思ったものです。今でもよくわかってはいませんが。でも山の恩恵には感謝します。

          「海の日に当つて」——資源活用事業#30

          「マスクとはなしづめ」——資源活用事業#29

          植戸万典です。生粋の花粉症持ちとして生きてきました。 この疫禍になってから花粉症患者としてちょっと良かったことのひとつが、TPOを問わずマスクを着けていても文句を言われないことです。 以前だったら、花粉が飛散する真っ只中であっても格式ばった場面ではマスクを外すように強いられていたので。 そう言えば、十年くらい前にヴェトナムのハノイやホーチミンを旅したときは、現地の多くの人たちがカラフルなマスクを着けてバイクに乗っていました。今ではどうなっているのでしょう。 疫禍もだいぶ落

          「マスクとはなしづめ」——資源活用事業#29

          「卯年にちなんで猫の話」——資源活用事業#28

          植戸万典です。愛猫家です。 2月22日は猫の日と言われます。「222」が「ニャンニャンニャン」だからだと。 鳴き声の語呂合わせなら、「ミーミーミー」で3月33日も猫の日になるのではないかと思うのですが、そんな日は金輪際ありえないのでやっぱり猫の日は2月22日で良いのでしょう。 ちなみに、Wikipedia情報によると各国にも猫の日があるようで、イタリア等では2月17日、ロシアでは3月1日、米国では10月29日、さらに8月8日が「世界猫の日」だったりするそうです。 世界中「

          「卯年にちなんで猫の話」——資源活用事業#28

          「度々足袋で旅をした」――資源活用事業#27

          植戸万典です。適当を愛する者です。 令和4年も年の瀬。 今年も記名無記名問わずいろいろな文章を書いてきましたし、それは昨年もそうであったように、来年も同様でしょう。 人生はよく旅に例えられますが、それなら来たる令和5年はどんな旅路にしましょうか。 まあ、来年のことは鬼が笑うと言いますし、新年の目標を春までに覚えているような人こそ稀少で、結局はなるようにしかならないのですけど。 コラム「度々足袋で旅をした」歴史的仮名遣ひに手が慣れると現代仮名遣いのテキストでもうっかり「い

          「度々足袋で旅をした」――資源活用事業#27

          「これは邪宗門のはなし」――資源活用事業#26

          植戸万典です。恥の多い生涯を送って来ました。それは太宰だ。 教科書的なイメージからか、あるいは有名な文学賞に冠されているからか、高尚な文学者と思われがちな芥川龍之介です。 “高尚な文学者の高尚な文学作品”なので敬遠されがちでもありましょうが、実際に読むとその文豪的なイメージから想像されるような読みづらさより、娯楽性が印象に残ります。我が推し作家のひとりです。新規の供給はありませんが。 「地獄変」の続編的に新聞連載からスタートした「邪宗門」も未完のまま、100年前の11月に

          「これは邪宗門のはなし」――資源活用事業#26

          「文を好む木の実の季」――資源活用事業#25

          植戸万典です。夏(の暑さ)がだめだったりセロリが好きだったりします。 雨は降るときは降るし、降らないときは降りません。 何が言いたいかというと、世の中は予想どおりになるとは限らないし、台風が近づいているからとコロッケを用意しているときに限って進路はそれたりするもの、ということです。 今年の台風もできるだけ被害が出ませんように。 ここで再掲するコラムも、雨の降る時季に載せたもの。 正確には、梅雨の時季に載ることを見越して書いていたのに、掲載号(7月4日付)の直前にまさかの東

          「文を好む木の実の季」――資源活用事業#25

          「うちなーぬゆー」――資源活用事業#24

          植戸万典です。いろいろと難しいことも多いけど、なんくるないさ。 6月23日は沖縄の慰霊の日。畏き辺りにおかせられては、終戦の日や広島・長崎の原爆忌と同様に忘れてはならない4つの日のひとつとされているとか。 沖縄戦だけでなく、古琉球から近世琉球、沖縄県の設置などなど、琉球・沖縄の歴史はなかなか簡単に語り切れるものではありません。 それでもその歴史に敬意を表して、日本史をやっている身としてはそれを少しでも理解していたいと願い、今日は去る5月23日付の『神社新報』に寄稿しました

          「うちなーぬゆー」――資源活用事業#24

          「べし」――資源活用事業#23

          植戸万典です。常識だと思っていたものほど不確かだったものはない、というのが今の世界に対する現代人の実感なのではないでしょうか。 そんな大層な話題でなくても。 世の中には自身の狭い見識を全世界の常識のように押し付けてくる人がいてうんざりすることも多いですが、偉そうな肩書きの大人も実際はおおむね単なる小市民なので、全部を真に受けることはありません。という考えもあることを、新社会人の皆さまには頭の片隅にでも置いておいてほしいなという気持ちで、春先に『神社新報』へも拙稿を寄せました

          「べし」――資源活用事業#23

          「市の虎は真実を食う」――資源活用事業#22

          植戸万典(うえと かずのり)です。国際情勢も混迷し、さまざまな情報の飛び交っている昨今。誰の言う何が本当で、あるいは嘘なのか、朝夕のニュースを見ているだけでは真実を計り知れません。 世界がこうなることなど全く見越していたわけではありませんが、今回の資源活用事業はそんな「真実」と「嘘」について、今年1月の『神社新報』に載せたコラムを利用します。 とはいえ、新年のご挨拶的なもの。寅年なので虎にちなんだお話、という程度のコラムです。 そしてここでは新仮名遣いにしていますが、もちろ

          「市の虎は真実を食う」――資源活用事業#22

          「ビールに関する一考察」――資源活用事業#21

          植戸万典(うえと かずのり)です。またビアバーには行きづらい世相になってきて悲しみを覚えています。 ビール党です。日本酒も焼酎も洋酒もいける口ですが。 とくに所謂クラフトビール派でして、個人的には、最近は一時期ほどの持て囃されではないかもですけれどもヘイジーIPAとかが好物です。ただこう書くと、いやセゾンも良いしヴァイツェンも捨て難いしもちろんスタウトやポーターも美味しいしたまにはバーレーワインも飲みたくなってくるし……困ってしまいます。 ビール・クズです。 以下のコラム

          「ビールに関する一考察」――資源活用事業#21

          自分が物書き的にこだわったりこだわらなかったりしている一つ二つ(その2)

          植戸万典(うえと かずのり)です。無駄を愛する人間です。 正確に云えば、ムダな無駄は嫌いだけどムダじゃない無駄が好き。 それはたぶん、「無駄」よりも「のりしろ」とか「余白」とか云った方が良い類のものなのだろう。 文章は紙面いっぱいに字を埋め尽くした方が情報量という意味での効率は良いけど、紙の上下左右や行間文字間に適度な余白がなければ読みづらい。 教科書を開けば、余白のそこはちょっとした手遊びの落書きスペースになったりもする。 そういった実利がなかったとしても、余白がち

          自分が物書き的にこだわったりこだわらなかったりしている一つ二つ(その2)

          「雑草と校正」――資源活用事業#20

          暑さ寒さも彼岸まで、植戸万典(うえと かずのり)です。 裏を返せばお彼岸まではなんだかんだで暑かったり寒かったりするぞという諺のとおり、今年の残暑もきっちり秋分過ぎまで居座ってくれました。 この資源活用企画もなんだかんだで20回です。いつまで続くか自分もわかりません。わからないことだらけです。 とりあえず20回目の今回アップするのは、『神社新報』令和3年8月23日号の「杜に想ふ」欄に寄せたコラム「雑草と校正」。余計なお世話だったかもしれませんが、紙面掲載のときの歴史的仮名遣

          「雑草と校正」――資源活用事業#20