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「おやつはどうする?」——資源活用事業#36

植戸万典うえとかずのりです。パリ五輪がはじまりましたが、自分の生活に特段大きな関係は生じてない。

パリでは100年ぶりの五輪開催ということもあり、良くも悪くも人々を動かしているようで。
それがオリンピックというものの持っているパワーなんだろうな、と思うのは、東京大会もそうだったから。それは、あのちょっと特殊な時代に我々が体験した2021年でのことも、そして1964年のことも含めて。

とくに1964年(昭和39年)頃というのは、戦後の日本社会がどんどん発展(development)していく時代でした。
数年前には東京タワーが立ち、首都高速が開通し、五輪開幕直前には東海道新幹線が日本の東西を結びます。
一方で、産業と人口の急速な都市集中によって大都市周辺部では多大な宅地需要が生じ、無秩序な都市化現象(スプロール現象)も起きるようになりました。
所得倍増、高度経済成長……、そうした発展のあった時代である半面、従来の環境の劇的な変化に少なからぬ困惑もある時代でした。
今回再利用するコラム(原文歴史的仮名遣ひ)は、そんな時代を振り返ってみたおはなしです。

コラム「おやつはどうする?」

 仕事の記事やら論文やらの執筆に勤しんでいると、三時頃にはお茶と甘いものが欲しくなる。緑茶か紅茶かコーヒーか、菓子は和か洋か。今日はどうしよう。
 一服して資料を眺めていたら、古都鎌倉で騒動のあったらしいことを知った。ちょうど六十年前の出来事である。
 昭和三十九年、高度経済成長期の鎌倉市で風致保存会が発足する。鶴岡八幡宮の後背の山林に宅地造成が計画され、これに反対する市民運動が起きたのだ。山は八幡宮寺供僧の住坊である二十五坊のあった史蹟で、森林は貴重な自然環境を残していた。そこで住民や文化人らが結成した鎌倉風致保存会は寄附を募って一・五ヘクタールを買い取り、山林は守られることとなった。ピーターラビットの作者ビアトリクス・ポターは英国湖水地方の環境保全に尽力したことで有名だが、鎌倉はそのようなナショナルトラスト運動の日本における先駆といわれる。
 また、同じ年には京都でも、某門跡寺院が売却した景勝地の双ヶ丘に開発計画が生じたことで反対の声が挙がっていた。さらに奈良においても若草山一帯の開発が問題視されており、このころは経済発展のなかで歴史的な風土の保護運動が相次いでいたのだ。
 その昭和三十年代後半はまた、神社界でも境内の開発が危惧される時代だった。本殿を見下ろすようなビルのみならず、社殿自体を高層化するような神社が出来したため、その抑止策として昭和四十五年には「神社の社殿改築と多層建築物について」なる本庁通達が示された。もっとも、本殿に関してだけ地面から離れていてはならぬとした教学的根拠は未だよくわからない。
 そうした境内の開発は、神社がみずからの社地の活用を図ったもので、名勝を売却した某寺院の事情とも近かろう。社入安定のためマンション建設をといった計画は近年もまま聞かれる。当然熟考したうえでの決断だろうが、それでも世間で反対する声が沸くこともしばしば。ただ、そうした反対運動のある際でも、かつての鎌倉のように保存を望む側が資金を集めて解決したという話はあまり耳にしない。そういうものなのでしょうか。
 六十年前は鎌倉や京都、奈良などが中心となって連絡協議会を組織し、全国的な運動を展開した結果、昭和四十一年に超党派の議員立法によっていわゆる「古都保存法」が制定された。しかしそうした古都でも、その後も今に至るまで開発などによる混乱は出立している。いずれ「持続可能な開発」は当事者を無視した独善的正義感で強いるべきものではないのだと、往時の鎌倉からは教えられる。
 鎌倉でのこのときの運動は後に御谷おやつ騒動と呼ばれた。開発計画された地名の「御谷」にちなむが、三時のおやつはサブレーにするか餅にするかで喧嘩する子供らの姿をつい想像してしまった。これは我ながらくだらないと思う。
(ライター・史学徒)

※『神社新報』(令和6年6月24日号)より

「おやつはどうする?」のオーディオコメンタリーめいたもの

鎌倉という土地は、そこまで特別な思い入れのある場所ではないのですが、歴史付きにとって訪れると面白いところだとは思います。

鳩サブレーも美味しいですしね。
2013年に鎌倉の海水浴場の10年間の命名権が売り出された際、鳩サブレーの豊島屋が権利取得した上で従来の名称のままとしたことも粋に感じたものです。
今考えると、これも一種の「持続可能性」なのではないかと思ってみたり。知らんけど。

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