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「スポーツの神様」――資源活用事業#07

植戸万典(うえと かずのり)です。スポーツはあまり得意ではありません。

東京オリンピック・パラリンピック競技大会も、2021年の夏に延期となりました。1年後には無事に開催できているのでしょうか。
招致の段階ではさほど乗り気ではなかったのですが、昨年の大河ドラマ『いだてん』を視聴してからはちょっと見方も変わりました。ただ、だからこそとでも云おうか、現在の五輪への疑問もなくはないのですけどね。

今回は、そんな来年の夏に向け、令和元年8月19日発行『神社新報』の「杜に想ふ」欄に寄せたコラム「スポーツの神様」を資源活用。また当然いつものように、歴史的仮名遣いは改めています。

コラム「スポーツの神様」

 御創立百五十年を迎えた靖國神社では八月十五日、今年も多彩な参拝者が集い、それぞれの英霊への思わくが九段の杜に齎されたことだろう。もっとも、戦争がリアルでない最近の若者にとっての「英霊」とは、歴史的な英雄の霊を召喚して競う人気ゲームの用語であるかもしれない。まあ、それも平和な時代のひとつの証か。
 平和の祭典である「東京二〇二〇」の開幕まで残り一年。前回の東京五輪を契機とする「体育の日」も本年を最後に、来年(日付は変則的だが)からは「スポーツの日」と改称する。近頃は「eスポーツ」なども盛んなように、「sport」が運動競技に限定されないことも知られてきた。某公共放送局の今年一年を通じたドラマ序盤でも描かれた明治人のスポーツ観からすると、これも隔世の感だ。
 日本でスポーツが広まって百年。今や神社で絵馬掛けを眺めていても、それら競技の技能向上を神頼みする人は珍しくない。そうしたなか、「スポーツの神」はどちらかと問われる機会も間々ある。そこで、はてなと首を傾げる。個別の来歴でスポーツに関した御利益の謳われる神社は多少見られるが、直接スポーツに関わった祭神というのは寡聞にして思い浮かばない。考えればそれも当然で、スポーツという概念自体が日本では新しいのだ。先の問いには勝負ごとや武芸の神を紹介し、それで今のところは彼らの要望を満たせているらしいが、力不足も感じる。スポーツは何も勝負だけとは限らないはずだ。
 話は変わるが、先日さる護国神社に縁ある人と、護国神社の振興を考える機会があった。遺族も減ってゆくなか、共同体としての慰霊と顕彰の本義を保つことは前提としつつ、それだけで神社を未来に伝えることは可能だろうか、と。解の出る話題ではなかったが、雑駁な話し合いのなかでふと、英霊はまさにスポーツの神でもあるなと思い至った。
 天神様こと菅原道真公は、古くは御霊や菅原氏の氏神として祀られたが、その御神徳は時代と共に展開し、今では広く学問の神として信仰される。一方、国を背負い戦った英霊の中には、日の丸を背負い競い合ったアスリートたちもいる。馬術競技のバロン西こと西竹一命(陸軍大佐)をはじめトップ選手は数多く、競技経験者であればその何倍ともなろう。そうした英霊は、護国の神であると同時に、違いなくスポーツの神だ。
 言葉も信仰も歴史と共に変化してきた。「天神」が原義を離れて今や学問の神と信じられるように、「英霊」がスポーツの神や、または他の守護神として信仰されるような未来も、もしかしたらあるかもしれない。そしてそんな未来は、必ずや英霊たちも望んだ平和な世界だ。そう夢想する先は、すべて遠き理想郷であろうか。
(ライター・史学徒)
※『神社新報』(令和元年8月19日号)より

「スポーツの神様」のオーディオコメンタリーめいたもの

九段坂の方もそうですが、全国の護国神社も苦労が多いと聞きます。
そもそも崇敬者の基盤が戦歿将兵の遺族だったわけで、自然とそうなっていくのはやむを得ざること。しかし靖國も護国も単なる遺族の神社という位置づけで創建された神社ではないので、近代国民国家としてそれをどう継承していくのかいかないかが考えどころなのかも知れません。
護国神社によっては、地元の神社としての立ち位置を確立しているところもあるようですね。

信仰は意外と柔軟です。何かのきっかけがあって結びつけば、本来無関係であってもそこにご利益やご神徳が生じることもしばしば。
菅原道真公は有名な例ですが、水天宮とかもそれ系でしょう。社名から宝くじが当たると評判になった神社もあります。
なので「豊受(とようけ)」の神名も「ウケ」が「豊か」になると解釈されてしまえば、豊受大神が芸人の守護神になることも……ないでしょうね。

ただ「英霊」は意味の変化が現在進行系で起こっている好例ではないでしょうか。試しにググってみてもほぼFate関連で。
これがミーム汚染というヤツねこですよろしくおねがいします

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