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自由奔放な父から学んだこと

父のせいで生まれたときから変わった人生

物心ついた頃から、いろんな人に「なんか変わってるよね」と言われてきました。

でも、誰でも変わったところはあるし、あまり気にかけていなかったのですが、最近になって、「やっぱりちょっと変だったのかも」と思うようになりました。

おそらく、社会に出て会社員として10年近くを過ごすうちに、自然と世の中に合わせるコツが身につくのと同時に「一般的な社会の常識」との間に大きなギャップがあることに気づいたからなのではないかと。

そして、僕がまわりから「なんか変わっているよね」と言われるようになった理由はといえば、それは完全に父の影響だと思います。


父の迷言

もともと昔から自分の家が他とは違うことには気づいていました。

たとえば、小学生の頃、学校に行く時間に友達のお父さんは仕事に行っているのに、うちの父はまだ寝ている。

一方で日曜日に仕事に出かけることもあり、一般的な「会社勤めの人」ではないんだなと、なんとなくは感じてはいました。

でも父が実際にどんな仕事をしているのかは、よくわかっていませんでした。

父は音楽家で、自分の楽団を持っていました。

バブル期はとても羽振りが良く、札束が無造作にリビングに積んであることもよくありました。

「俺の1万円はお前らの1円のようなもの」なんて言っていたことは、今でも記憶に残っています。


父は調子に乗ってダメになった典型的なタイプ

常に自分が中心にいたい人で、仲間をたくさん連れては外で飲み歩き、家にも呼んでよく食事をしていました。

芸術家に多い自己主張が強くてグイグイ行くタイプで、いつも大きな声で、自分の話ばかりしていました。

家族といるときも、父の話を一方的に聞かされることが多かったように思います。

その中で最も印象に残っているのが、八王子にある高級ステーキ店の『うかい亭』に連れていかれたことです。

駐車場にずらっと並んだ高級車を見て、僕が「うちの車は国産だからかっこ悪いなぁ」とぽろっと言ったところ、子どもの言葉を真に受けて、後日BMWを買って、またその店に連れていかれたことがありました。

見栄っ張りで気まぐれ、子どもっぽくてわがままという父に、家族は振り回されてばかりでした。

でも、好きな仕事にのめりこむ姿は楽しそうで、それでお金も入るなら「そんな仕事もいいな」と思っていました。

そんな父も、バブルが弾け、時代が変わったのにもかかわらず、相変わらず「俺様スタイル」を貫き通した結果、典型的な経済困窮に陥りました。


父みたいにならないように

そんな父を反面教師として、自分はそうならないように、調子のいい時でも天狗にならないでいこう、ちゃんと人の話を聞こう、人に感謝しながらやっていこう、と思うようになりました。

でも、その一方で、己を曲げない自由さに強い憧れもあるのか、無意識にも意識的にも父と似たようなことをやっている自分に気づいて愕然とすることがあります。

父から受け継いだフリーダムな血。

会社を辞めたのも、父の影響もあったと思います。

何かいい時があったときは、父のことを思い出しては「いやいや、調子に乗らんとこ」とストッパーのように自分をいましめています。

父は相変わらず今もまだ意気盛んです。

憧れであり反面教師であり、これからも自分の中に強く存在を感じながら影響を受け続けていくのだろうと思います。

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