問いつ、答われつ、問われつ、答いつ。
「きれいごとをしようじゃないか。」のメッセージを発信し続けるベンチャー企業で働き始めて11年。人事になって5年が経ちました。
「問い」の重要性
「良質な質問は良質な人生を創る。」
誰が言った言葉か覚えていないけど、深く腹落ちした言葉なのでそのまま仮パクさせてもらっています。
問われると人は何かしらの答えを出そうと、脳内検索エンジンが働いて思考をし始めます。だからこそ、日々自分に問いかける質問は非常に重要。
「お昼に何を食べる?」と問いかけるのか「お昼の時間をどう有意義にすごす?」では、おそらく異なる答えが出てくるだろうと思います。自分で自分に何を問いかけているか、少し意識してみませんか。
やりたいことは何ですか?の問いは本当に必要か
人事という身で、多くの方との面談や面接をさせてもらう機会があります。特に大学生のみなさんと話をする中で、もやっとすることがあります。それは、就職活動というシーンにおいて企業から問われる質問が、あたかも「正しい質問」であるかのように一生懸命答え探しをしている姿を見かける時です。
とにかく面接というシーンでは様々なことを問いかけられます。そして、同じ質問をされればされるほど、その質問らがあたかも重要な問いかのように刷り込まれてしまう時がある…。
問われて考えることでメリットもあるけれど、どうしても腑に落ちない問いなのだとしたら、「自分にとって必要な問いか否か?」これを考えて取捨選択することも1つの手段だと私は思います。
その会社にとってその問いは重要だけど、自分にとって重要じゃないかもしれない。ってことは山ほどあるはず。
リアルなことを言えば、「やりたことは何ですか?」という質問は、多く人たちにとって表層的で何も深まらない質問のような気がしています。
問いかけるなら、「楽しかったことはどんなこと(時)ですか」とか、「楽しいと感じる時に共通している要素や動機は何ですか?」とか、「逆にどんな時にやる気が削がれますか?」とか。その下地があった上で、「なぜそれをやりたいと思うのですか?」と聞くなら納得ができる。楽しいときや自分の喜びに繋がることとやりたいことに1本筋が通るか通らないかが分かるから。
やりたいことを聞いてから、なぜなぜ?を繰り返しても、頭で考えるそれっぽい理性的な答えしか出てこないような気がして。
感覚や感情的な部分から聞いて、その上で何を選択しようとしているのかを聴いた方がよっぽど再現性も図れるし、納得感があるのではないかと私は思うのです。
人事の正義を手放したい
人事さんの言うこと聞くことがこの世の全てではない。
それが世の中的に絶対正しい!わけなんかない。
わたしも一人事として、正しさはない。と、そう思いながら話をさせて頂こうと懸命に努力中です。でも、つい私は私の正しさで質問をしそうになる。
手放したいけど、手放せない。そんな葛藤をする人事仲間が、この世の中に居てくれたら嬉しいなぁと感じます。