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人はみんな何かを表現するものを持って、生まれてきた

先日美術館に行った時、「みんな表現するものを持って生まれてきている」と、ふと思った。

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全て、表現だ。

今や、SNSも一つの表現になっている。

もっと身近なところでは、家庭では両親が子供に伝える。
学校では先生が生徒に伝える。
職場では先輩が後輩に伝える。
その逆もある。
子供の言葉にハッとすることがあるから、子供も表現しているのだ。

そして、表現に上手い下手は関係ない。
ヘタウマが喜ばれることもあるのだから。

ヘタウマが芸術と言われることもあるのだから。

表現する際に、大事なことは表現できたか、だけ。
周りの評価は後からついてくるが、それも千差万別だ。

なぜなら、表現には「好き嫌い」がつきものだからだ。

ある作家を好きな人もいれば、嫌いな人もいる。みんなに好かれていても、私は好きになれない、いくら技術的に素晴らしくても、有名でも私は好きになれない作家もいる。そしそれでいいし、有名な人でも全員に好かれているわけではない、と思えば、評価は気にしなくて良い。

だからこそやるべきは、ただ表現するだけ。

評価されたいから表現するのではなく、ただただ自分の心に従って表現するだけ。

私が行った美術館は、ガラス美術館だった。
そこには、ガラスを使ってこんなことが表現できるのか?と驚くほどの作品がたくさん並んでいた。この人たちは、何かを表現したくてその手段としてガラスを選んだ。

おそらく、ガラスにしか表現できないことがあるのだろう。
私は詳しくないからわからないけど、そのガラス工芸作家たちはなにかのきっかけで、ガラスの可能性を知り、ガラスを使って表現し始めたのだろう。

作品の横には、その方々の簡単なプロフィールが書かれている。

生まれた場所は様々でも、学歴も専攻もバラバラでも、ある時点でガラスに出会い、ガラスを作る環境に恵まれた場所である、富山、金沢、長野県などに住んでいるようだ。きっとガラス工芸が、作成しやすい環境なのだろう。

彼らは、生まれた土地を離れてでも、ガラス工芸を作りたい。
ガラスで表現せずには生きられない、表現することが生きる意味なのだと思っている人たちなのだろうな。

美術館にある、表現者たちの作品が発する情熱に触れたことで、私だけではなく、多分この地球に生まれた人みんなが、何か表現して伝えたいことを持って生まれてきてるに違いない、と言う思考が、エスカレーターを降りながら頭に浮かんできたのだった。




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