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「尖っている」と言われて考えたこと


先日、ある方から「あなたのように尖って生きていきたい」
というメーセージをいただいた。

私がnoteに書いたことが、その方に届いて何かのメッセージになったのであれば、こんなに嬉しいことはないし、実際に「尖る」と言うタイトルで書いたこともある。

「尖る」

https://note.com/uenohiromi03/n/ne9a7f78b3187

でも、その後ふと疑問に思った。

「私が尖っているのだろうか」
「誰でも実は尖ることはできるのではないだろうか」

と。

確かに私はちょっと変わっている人らしい、という自覚はある。
自分では全然変わってないと思うのだが、周りや一般的な考えの人たちからすると、どうも少し違う「らしい」ということは自覚している。
本人は、「普通」のつもりなのだけど。

では、なぜ「尖っている」とか「ちょっと違う」と言われたり、思われるのだろう、と考えてみた。(この考えることが、結構好きなことも、他の人と違う部分なのかも知れない)

それはおそらく「自分らしく生きているから」

よーく考えてみてほしい。

人は生まれた時から、一人一人違っている。たとえ同じ両親から産まれた姉妹であっても、全然性格が違ったり、顔も違っていたりする。
だから、実は一人一人生まれた時から「尖っている」のだ。
その後、周りからの影響をよくも悪くも受けることによって、「一般的な考えに近づいていく」ことで、「尖った部分が見えなくなっているだけ」に過ぎないのだと思う。

例えば、自分の意見をすごくはっきりという子供だった人が、一度友達から
「はっきり言い過ぎ」
「そんなにみんな言いたいことは普通言わないよ」
と言われたことで、自分の意見を言わなくなった人は、世の中に五万といるはずだ。
実際にそんな人たちをたくさんみてきた。

でも、そんな「圧力」(同調圧力ともいうが)に負けず、自分を貫いている人が、結局「尖っている」「変わっている」と言われているのだろう。
では一体どうしたら、圧力に負けずに済むのか?

「自分の心地よさを優先するだけ」

別にわがままを言え、ということではない。
ただ、自分が「なんか違うな」と思うことには賛成しない、サーっと離れていく、良い距離をとるなどができれば、自分の心地よさは邪魔されない。

変わっていると言われる私でも、人とは争わない。
分かり合えない人や価値観が違いすぎる人と話し合うこと自体が、時間と体力の無駄だと思っているからだ。
もちろんそんなことは、このnoteに書くくらいで人には決して言わない。
心で感じ、頭で判断し、自分の心地よさを優先し、平和的に行動するだけだ。

それで「変わっている」「尖っている」と言われるのは、なんだかみんな自分の心地よさを大事にしてないんだなーと感じてしまったのだ。

もちろん、私が正しいとか、何が間違っているなどは一切無い。

ただただ、自分の心地よさは自分が一番わかっているし、そこに正しいとか間違っているなどは無い。
ただ、自分の心のままに、心地よさを最大限優先するのにはどうしたらいいのか、だけを考えて行動しているだけだ。

「そんなことは、メンタル強い人じゃ無いとできないんですよ」
と言われるのかも知れない。

いや、逆に「繊細だからこそ(自分で言う笑)自分の心地よさを優先しないと、自分がハッピーでいられなくなるから、心地よさを最優先しているだけ」なのだ。

以前の私は、この「圧力」を無意識に感じていて、その圧力通りに生きていこうとしていたのだと、今はわかる。
だから、あの時苦しかったのだと。

でも私には、自分らしさを押し殺して生きていく強さはない。
強いと言われることは多いが、本当にそうなんだろうか、といつも思う。
でも、「強いよね」と言われると、「あなたは私たちとは違う」と言う意味を感じることがある。
それもある意味、相手が私との距離をとっている、ちょっと変わっている人とは自分は近づかないと言われている気もする。

結局は自分の心地よさを優先するか、我慢をするか、だ。

私は2022年は「我慢しない」をモットーの一つにしてきた。
だからこそ、我慢より自分の心地よさを優先し、今では自分らしく生きられていると感じ、毎日が幸せだと思えている。

誰だって好きなように生きればいい。
誰かと比べる必要もない。
誰が普通で、誰が異端だとかの比較もどうでもいい。

答えは簡単だ。あなたがあなたらしく生きていれば、自然と尖ってくるし、毎日が幸せだと感じられる。
誰にでもわかるし、やろうと思えばできることだ。
みんなが尖っていたら、きっと世の中は面白いはずだ。


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