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私は私


セルフケア
自己肯定感
自己容認

など、自分を大事にする言葉はたくさんある。
これらの言葉がよく使われる理由は、「できていない人が多いから」なのだと逆に思う。

みんなが
セルフケアをして、
自己肯定感が高く、
自己容認ができていたら

こんな言葉は必要ない。

では、なぜ自分を大事にしたり、自己肯定感が低かったり、自己容認ができないのか?

多分答えは二つのように思う。

一つは、人との比較。
もう一つは、罪悪感だ。

一つ目の人との比較については、完璧主義な人や、周りの目を気にする人に多い。
一言で言えば「優等生タイプ」だ。

生徒さんたちを教えていて、親、学校の先生から期待され、それに応えようと頑張ってきた人はいわゆる大人にとって「良い子」で、「優等生タイプ」だ。
しかし、「優等生」というレッテルを貼っているのは、親や先生で、この人たちが管理しやすいように、言うことを聞く子供を可愛がっているだけなのだが、子供は周囲の大人から評価されることで、得をすることもあるので、この「優等生」を目指す。
その結果、「周りと比較して、今の自分がどうなのか」ということをいつも気にしているので、周囲に優秀な人が多ければ多いほど、自己肯定感は低くなる。

だから、とても優秀なのに(本当の意味で)自分に自信がない人は、とても多い。
どこまで完璧主義なんだ、と思うが、自分が到底届かない人と自分を比較しているからこそ、自信がないようだ。

さらに、周囲の大人から評価されることが全てなので、失敗や欠点などは自分にはあってはならないと思っているため、自己容認も難しくなる。

解決策としては、「今まで正しいと思っていたことを否定して、自分の評価軸を持つ」ということだ。

私の経験から言うと、学校の先生の評価と、エアラインの面接官の評価は違う。
学校の先生は、「素直に言うことを聞く良い子」を評価するが、エアラインの採用担当者は
「いい子いい子どうでもいい子はいらない」と言った。

つまり、素直に聞いているだけではなく、自分で考え、自分で確認し、自分で結論を出す人を、エアラインの採用担当者は「良い子」と評価する。
この事実を、生徒さんに伝えるところから始まる。

そうすると、今まで自分が正しいと思っていた評価基準が、通用しないことがわかる。
そこから「人からの評価を気にするのではなく、自分が本物の実力を身につけていく」方向に変化する。(多くの場合)

すると、人との比較ではなく、昨日の自分との比較をするようになり、昨日できなかったことが今日できるようになると、達成感を感じて自己肯定感が上がっていく。
もちろん、一朝一夕にできることではないが、「価値観の入れ替え」「ビリーフの入れ替え」をすることが大事だと思っている。

そして、罪悪感については、これは一見本人が勝手に罪悪感を持っているように思えるが、実はやはり「今までの刷り込み」によって罪悪感を持つことが、ほとんどだ。

女性はこうあるべきだ
母親はこうあるべきだ
妻はそんなことはしてはいけない
贅沢はしてはいけない

など、幼い頃からいろんな言葉を聞いて私たちは育っている。
それが正しいのかどうなのか、さえわからないうちからだ。
さらに、自分が何を望み、何を望まないのかもわからないうちから、このような「べき」という言葉のシャワーをたくさん浴びている。

それによって、「人から刷り込まれた価値観」がいつの間にか自分の中に入ってきて、それを基準に「罪悪感」を持つ。

平日の昼間からお酒を飲むと罪悪感

一人で高級ホテルに宿泊すると罪悪感

主婦が家族を置いて友達と旅行に行くと罪悪感

など、だ。

平日の昼間からお酒を飲むと罪悪感
→仕事をしている人が息抜きにやることは、むしろストレス解消で、その後仕事をする際にも活力が沸いているかもしれない。

一人で高級ホテルに宿泊すると罪悪感
→金銭的に余裕があれば、何の問題もないし、それによって豊かな気持ちになって、気分よく過ごせるなら、十分にその価値はある。

主婦が家族を置いて友達と旅行に行くと罪悪感
→家族が納得して、快く送り出してくれているのであれば、何の問題もない。
仮に家族の反対を押し切ったとしても、それはその人にとってはとても大事なことかもしれない。
自分で責任が持てるなら、何の問題もない。

それなのに、ふっと沸いてくる罪悪感は、私も経験がある。
「妻とは、母とは、こうあるべきだ」というものに縛られていた、と思うので、罪悪感から一歩踏み出せなかったことは、たくさんある。

解決策としては罪悪感が沸いてきたらすぐに「私はそれだけのことをやっているんだから、いいんだよ、十分に楽しんで」と自分に言う。
これが、最近できるようになってきた。

自分の価値を自分で認め、自分に言ってあげるということだ。

周りとの比較も、罪悪感も、結局は「私は私だから、私がOKなら、それでいい」と思えることで、全ては解決する。

もちろん家族や周囲との話し合いも必要かもしれない。それも本人の責任でやっていれば、誰かと比較する必要もないし、罪悪感を勝手に持つ必要もない。

私は私。
あなたはあなた。
みんなはみんな。

そう思って生きていくことは難しいけど、そうやって生きていくと確実に自分の心が自由で、喜びに溢れることは間違いない。

つまり、それが答えだ。


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