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生き方は学ぶものではない


先日、ふとこの言葉が浮かんだ。
多分、何かのブログを読んでいて違和感を感じたのだ。

今、時代の変化を感じている人が多い分、
今までの生き方を見直す人が増えているように思う。
多分、転職する人も多いのではないかと勝手に思っている。
それ自体はとてもいいことだ。

ただ、変化の際に不安はつきものだから、
つい「答え」を求めて人は行動する。

本を読む
ブログを読む
人の話を聞く

全て素晴らしいことだと思う。
ただ、やってはいけないことがあると思ったのだ。

それは「答えを相手に求める」こと。

答えは自分で出すものだ。
というより「自分でわかるもの」だ。
わかるまで本を読んでもいいし、人の話を聞いてもいい。
でも、人に答えはわからないのだから、求めてはいけないのだ。

その生き方を学ぶために誰かの周りにいる、
というのもなんだか怖い気がしている。
その人しか知り得ない情報を知るということは、
今の時代情報は溢れているのでほとんどあり得ない。

その人の経験は確かに聞く、読む価値はあると思うが、
答えはそこにはない。

なぜなら、「どんなに憧れても、その人と自分は違うから」

これがわかっていて、ヒントをもらうために、
刺激を受けるために本を読む、ブログを読む、
話を聞くのは私も学生の頃からやっているし、
その半分くらいはそこで心から共感した部分が
私の真ん中に今でもある。

私があらゆる人のエッセイを読み漁ったのは、大学入学後だ。
生き方探しをしていた。
当時は音楽で生きていくと思っていたけど、
その中心にある部分、つまり「仕事」ではなく、
「生き方」もっと言えば、「後悔しない生き方」を
探していたのだと思う。


エッセイを読み漁るうちに、深く共感したのは
「自立した人になること」だった。

当時は、男女雇用機会均等法もない、女性は結婚したら
退職するのが当たり前という、今では信じられない
時代だったが、それでも私は「自立した人」を目指そうと決めた。

今でもそれは私のど真ん中にあり、
だからこそ出産育児での2年間くらいを除いて、
ずっと仕事をしてきた。

今では経済的はもちろん、精神的にも自立していると
思っている。
自立の定義はそれぞれだと思うが、
私は「問題解決ができるか」だと思っている。

それは自分で解決できる、ということも大事だけど、
自分の専門外のことが起きた時には
「その分野の知り合いがいて頼れる」ということも
自立の一つだと思っている。

幸いにもあらゆる分野の知り合いができたことは、
長く仕事をしてきて良かったことだと思っている。

ただ、どんなに著者や憧れの生き方に共感をしても、
決してその人と同じ生き方をしたわけでもないし、
100%同意をしているわけでもない。

なぜなら、私はその著者ではないから。
私と著者は別人だから。

例えば友人が自分の好きなことに挑戦して、
それを叶えたのをみて「私もやってみる」と
同じことをやるのではなく、自分の好きなことに挑戦する、
ならありえる。
つまり、「やる気」と「勇気」と「きっかけ」をもらっただけで、
真似をしているわけではない。

このように、「憧れの人や刺激を受けた人と自分」を
しっかり境界線を引いておかないと、同じ生き方を真似ても、
ずっと迷い続けるだけのような気がしている。
姉妹でさえ違う生き方をするのだから、
他人と同じなんてあり得ないのだから。

迷っている時は早く答えを出したいと焦るが、
答えは「自然と出る」ものだと、私の起業時、
コロナ禍で自分を見失ったと思った時の経験から言える。

自分の人生は自分のものだから。
自分の人生はオリジナルのものだから。

それさえわかっていれば、やがて答えはわかってくるはずだ。


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