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全ての経験の上に今の自分がある


人生に後悔はないか、と言われたら、あの決断をしなければ、など思うことは
一つは必ず誰でもあるだろう。

もちろんあれも大事な経験だったと思えるが、それでも「たら」「れば」は私もある。
少しは大人になった今ならば、少し違う判断ができ、考えることができただろうと思う。

ただ、同時に思うのだ。

今過去のことを、客観的に意味付けできるのは自分自身が成長できたからだ、と。
そして、今の自分はこれら後悔もあってできているのだとわかる。

もし、あの時に戻っても結局同じ決断をしていたはずだ、とも思う。
なぜなら、その経験をしたかったのだろう、と思うから。

つまり、誰にもその人の一度決めた決断を止めることはできない。
なぜなら、その経験がその人にとって必要だからだ。

後悔した気持ちも
悲しい気持ちも
苦しい気持ちも

今思い出せ、と言われたら、すぐに思い出すことができる。
普段は全く出てこないが、胸の奥底にそれらは眠っている。
つまり、本当の後悔も、悲しみも、苦しみも全て私は知っていると言うことだ。
全て経験して知っている。

それがなんの役に立つのか、と言われたら、たとえば女優や作家だったらその経験から知った気持ちを表現することはできるだろう。
今まで毎日書いてきた仕事上のブログにも、どこかしらそれらが滲み出ていたのかもしれない、とも思う。

なぜなら、初対面でいきなりかなり深刻な状況を打ち明けられたことが、何度もあるからだ。
それは、もしかすると「あなたならわかりますよね」という気持ちで、私に会いにきたのかもしれない、と思ったこともある。

そして、確かにその人の状況と全く同じことは経験していなくても、その人の悲しみや、苦しみを感じ、共感することはできたと思う。

30年以上、教える仕事をしてきて言えるのは、「ノウハウだけを教えるだけならば、ここまで続かなかった」ということだ。

教える、という言い方をしているが、レッスンや授業は、人対人の真剣勝負だといつも感じる。
目的は同じだが、性格も年齢も経験も全て違う人同士が、お互いが見えてしまう環境でレッスンや授業をしていくのだから、真剣にならざるを得ない。

その瞬間生きていることを感じていたから、ここまで続けることができたのだろうし、卒業後も一部の生徒たちと交流が続いているのは、真剣勝負を続けてきたからだ、と思っている。

人は日々変化している。
それを成長と呼ぶのか、後退と思うのかは、それぞれ違うだろうが、人は同じではいられない。
たとえ後悔した気持ちが残っていても、それを抱えているからこそ、今の私がある。
ただ、後悔を悔やみ続けるのではなく、それを丸ごと受け入れて、変化した自分でさらに行きたい方向に進むだけだ。

体と脳が元気なまま100歳を迎えられるかはわからないが、少なくとも今日は元気でいるのだから、それに感謝して、今日も自分が生きたいように生きていこう。
私は私を見捨てないし、今日の自分より明日の自分を好きでいたいから。


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