見出し画像

まじめな自分をやめる


決して自慢ではなく、「つくづく真面目すぎる自分が嫌になった」のだ。

世の中には、「自分を変えたい」と思っている人は、案外多いと思っている。
それは「今の自分が好きではないから」「今の自分に満足していないから」だろう。
前向きな意味であれば、「自分を好きではない」というのは、とても良いことだ。
なぜなら、「自分を好きではない🟰自分を変えたいと思っているから」

自分を嫌いになれば、変化のモチベーションになるのだ。

私も、「このまじめな思考」に気づき、(まずここから始まる)得したこともたくさんあるが、損することもある。
だから「嫌になった」のだ。

嫌になる、というのも一見ネガテイブに見えるが、決してそうではない。
嫌になったら辞めればいいのだから。そしてそれが変化になる。

もちろん、仕事では信用構築には、まじめが一番良いし、責任もあるので続けていくが、
プライベートな自分は「いいかげん」になろうと決めた。
自分で決めたことは、ストイックにやっていくが、それ以外は「気分」でいく。
それでいい。

全ての人や事に対して、完璧でいる必要はない。
そんな人はいない。
そんな人は、おそらくどこかでストレスを抱えている。

自分がいい加減でも、自分がテキトーでも付き合ってくれる人だけを大事にすればいいのだ。

つくづく思うのは、「ストレスフリーに生きること」
それが、自分の決意次第でできるのであれば、どんどんやるべきだ。
ストレスを抱えていても、誰も代わりにはなってくれない。
ストレスを抱えていても、得をすることはない。

だったら、ストレスを一つ一つおろして行こう。
それが自分の考え方次第であったり、行動を変えることでできるのだ。

このnoteを毎日書くことは自分で決めたので、守りたい。
でも、書けなくなる時もあるかもしれない。それもいい。それでいい。
さらに、昨日から始めた「自叙伝」?「回顧録」が面白くて、毎日続けようと思っている。
マライヤ キャリーが言うように、「さらに自由な自分」になるために。

昨日書いた一部だけ、ここで紹介させていただきたい。
読みたくない人は、スルーしてほしい。

上野 博美回顧録 
 
プロローグ

Apple TVで、オプラ ウインフリーのインタビューにハマっている。
インタビュー番組といえば、日本では「徹子の部屋」が有名だが、何かが違うのだ。
オプラと黒柳徹子の年齢差、国民性、もあると思うが、シナリオ通りに進むかどうか、がどこまでゲストに裁量が委ねられているか、の違いではないか、と思う。
 一言でいえば、「やらせ感」がないのだ。
だから、見ている方は自分を投影できるし、共感するし、毎回のように泣いている。
そして、もう一つは「人種」について考えさせられる点だ。
オプラ自身が黒人であり、ゲストも黒人のスターも多い。
マライア キャリーは黒人と白人との間の「biracial」と言われていた。

 私も高校時代にアメリカの公立高校に10ヶ月間通った経験で、黒人への差別を感じていたことはある。
有色人種である私たち日本人にも、差別意識を持っていた人はいたと思うが、直接的に何かを言われたり、されたりはしていない。
ただ「感じた」ことはある。白人の女の子たちの集団に、決して入っていけない「雰囲気」があったのだ。

だから私が仲良くなったのは、「ギリシャ人とアメリカ人のハーフ」の子や、
「チカノ」と言われる、メキシコ系アメリカ人の子や、黒人の子だった。

私がもっと社交的だったら、いろんな友人を作ったかもしれないが、ギリシャ人とアメリカ人のハーフの友達、ローラは私が日本へ帰国する直前に自宅に招いてくれ、初めて「チーズフォンデユ」をお母さんが手作りで作ってくれた。
今は全くつながっていないので、どこで何をしているのか、はわからないが、会えるものなら会いたいと心から思う。

と、私のアメリカ留学時の話になってしまったが、この自叙伝を書こうと思ったのは、このオプラの番組で、マライア キャリーが言った一言がきっかけだ、と言いたい。

自叙伝で、マライアの過酷な幼少時代を赤裸々に本に書いて出版した彼女に、オプラが聞いたのだ。
「この本を出して、何か変化があったか」と。

すると、少し考えてマライアは答えた。
「freer」「より自由になった」と。

例え過酷な出来事があっても、それを人に見せるかどうかは別としても、
自分と向き合い文字にすることは、人をより自由にするんだ、ということが衝撃だった。

確かに、私は仕事で生徒さんたちに自己分析の重要性を説いてきたし、実際に生徒さんにやってもらってきた。

時にはダメな自分を見る必要があって、それは苦痛なのだけど、それを今ならどうするか、と現在に引き寄せて過去を書き換えて未来に進んで行けることで、人は本当の意味で前向きになれる、と講師歴30年の経験で知っているし、私自身も自分を内省したり、向き合うことは好きだ。というより、その自分との向き合う時間がなければ、自分を見失ってしまう気がしているくらいだ。

 自由を奪うものは、至るところに存在する。
お金
学校
会社
ルール、マナー
思い込み、刷り込み、偏った価値観、思考、強要、嫌がらせ、などだ。

だからこそ、人は自由に憧れる。

そして自由は簡単に手に入らないと思っている、いや思わされているのかもしれない。

マライアが言うように、自分と向き合い、文字にすることで、自分がさらに自由になれるのであれが、私たちもやってみていいのではないか、と思ったのだ。

もちろん出版はしないが、少なくともこれを書いているときは自分と向き合う時間となる。
自分の弱さ、自分の力量の狭さを感じているところだったので、これによってさらに自由になり、自分を知ることができたら、もっともっと大きく羽ばたける、と思って書いていこう。

ちなみに、自由になるためには、大金が必要なわけではない。収入に見合った暮らしをすれば、自由は手に入る。

生活コストを下げればいい。自炊をすればいい。物を減らして狭い部屋に住めばいい。

ゆるく働いて、ゆるく暮らす、を実現している人はたくさんいる。きっとその人たちは自由を手にしている。

もちろん、私もかなり自由だ。嫌な仕事はしないし、オファーが来ても断る。自分の好きな人にしか会いにいかない。

そんな私が、この回顧録を書き終えた時に「より自由になった」と思えるのか、私自身先の見えない旅に出ようとしている。

続く
(この先は、公開するかどうかは、気分で決めます笑)


サポートありがとうございます!いただいたサポートは、次の良い記事を書くために使わせていただきます!