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ひな人形を今年も出しました


スーパーでひなあられを見つけて、「あ、おひなさん出さなきゃ」と、すっかり忘れていたことを思い出した。

私がクローゼットの箱の中にしまっているお雛さんは、私の初節句に母方の祖父が買ってくれたもの。
破れたり、欠けたりしているが、それでもおだいりさまとおひなさまは、なんとか形を保っているので、毎年この時期に出し続けている。

おひなさまを買ってくれた祖父は、その約1年後に心臓の病であっという間に亡くなったらしい。
私が一才の時だから、写真でしか知らないおじいちゃんだ。
私が祖父にとって初孫であり、唯一その手で抱くことができた孫だったからか、とても可愛がってくれたらしい。

ひな祭り、という、日本文化の一つであるこのイベントで、お雛さんを出しながら思うのは、記憶のないおじいちゃんのこと。

不要な物は捨てても、これはきっと形ある限りは捨てることはできないだろう。
このおひなさんに祖父の思いがこもっているだろうし、私もこの日はおじいちゃんに思いを馳せるからだ。

ものが人と人をつなぐことがある。

例え人が亡くなっても、物が残っていることで、記憶がなくても写真があることで、生存していた時のことに、残された者は思いを馳せることができる。
見えない「思い」というものを、感じることができる。

おひなさんは私にとって、ただのおひなさんではない。
言葉を交わすことさえできなかった、おじいちゃんと私をつないでくれる大切なものなのだ。


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