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感性のままに生きる


ここ最近、「感性が鋭くなっている」のを感じる。

ふとある人のことを考えると、その人からメールが来る。
ざわざわと胸騒ぎがすると、何か良くないこと、好ましくないことが起きている。

こんな風に、とても曖昧なものだが、「感覚が鋭くなっている」のを感じる。

それはどうしてなんだろう、と考えてみた。

「心と時間に余裕があるから」

多分、これに尽きる。

心と時間に余裕があると、ウオーキングにも行くし(今朝も風があって、すごく気持ちよかった)
そもそも、目覚ましをかけずに10時ごろまで寝ていた私が、最近は6時に目が覚める。
朝早くに目が覚めると、夜は早く眠くなるので、早めに寝る。
こんな健康的な生活は久しぶりだ。

そして、朝ごはんを食べ、その後家事。
家事は、洗濯物を干して(ウオーキング中に洗濯機を回しておく)掃除をして、仕上げにお香を炊く。
そうして、「場を整えて」仕事に取り掛かる。

午前中に予定が入っていると、このパターンが崩れるが、できれば崩したくないと思っているので、極力午前中に予定を入れない。

そして午前中に自分の仕事を済ませると、昨日は市場に買い物に行った。
暑い中歩くのも、風があってそんなに暑くはない。
お店に入れば、いっ時の涼を得られる。

そしてお昼は基本的に抜いて、夜ご飯を早めに食べる。

なんと健康的な生活、と思ってくださった人もいるかもしれないが、これが基本。
こんな生活をしていたら、多分「思考」をあまりしていないので、感性が優位になり、いろんなことを感じられるようになったのだろう。

私は、以前から「感性と理性のバランス」が大事だと思ってきた。
感性で感じたことを、理性と言語力で言葉にして伝える。
そんな仕事の仕方だった。
「仕事で理性を使う」のは、当然のことだと思うが、それが今少しお休みモードになっているのだ。

いちいち感じたことを言葉にしなくても、
しっかり思考をしなくても、こうしてnoteなどに書いているだけで、何かしら伝わるのではないか、と思っている。
伝わるというより、読む人が勝手にキャッチする、という感じだ。

そして本来「書く」というのはそれでいいのではないか、と思っている。
同じ明治の文豪、たとえば三島由紀夫を読んだ人たち全員が、同じことを感じて、同じことに気づくわけではない。
人それぞれに気づき方が違い、得るもの、得たことが多いか少ないかも違う。
その作家のうまさは、ある程度みんな共通なのかもしれないが、一度も三島由紀夫の作品を読んだことさえない人たちもいる。

私は今まで高校や大学で学生を相手に、年間200回ほど講演を行なってきた。
その際は、常に「伝わること」を大事にしてきた。
伝わらなければ、相手が若い学生の場合誰も聞かなくなる。
聞かなければ、次回の仕事には繋がらない。
だからこそ、「どうしたら伝わるか」を試行錯誤してきた。

2021年からnoteを書き始め、決して多くはないが毎日のように読んでくださっている方々もいる。そのことを本当にありがたいと思うが、なぜ読むのかについてはおそらく一人一人違うだろう。(聞いたことがないのでわからないが)

ライターと作家の違いなのかもしれない。
ライターは伝わることが大事で、私が講演の時に考えていたことと同じこと、つまり「どうしたら伝わるか」を考えないといけないのだろう。
そして、その人から何かを得たくて、固定の読者がつくのだろう。

私は、講演で「伝えること」をやってきたので、きっとライターの方がいいのではないか、と思ってきたのだけど、どこかで「なんか違う」と思う自分がいて、このnoteは基本的に誰かに読まれることを想定していない。
強いていうなら、「自分との対話を公開」している感じだ。

だから、今日のテーマの「感性が鋭くなっている」ということを書いている間に、自分が書きたいことは何か、それはなぜか、を自問自答する機会となり、それを思うまま書いていて、そのまま公開ボタンを押して公開しているのだ。
つまり、「私はこれからも自分が書きたいと思ったものを書き、それが読まれたらすごく嬉しいが、読まれなくても書きたいこと、書けることしか書きたくない」という宣言になってしまった。(笑)

クリエイターに近いのかもしれない。
私は私。
世界でたった一人しかいない自分が、心から書きたいと思ったものだけを書いていこう。
今後電子書籍でペンネームで書くことも出てくるかもしれない。
売れても売れなくてもいいのだ。
(勿論売れたら嬉しいけど)

結局どんなに方向性を見失っても、
どんなに迷っても悩んでも、
最終的に「なるようになる」

昔は目標設定をして、それに向かって突っ走っていたが、
今は目標設定というより、「自分のやりたいことをやるために、ルールを作っている」という感じだ。
これは、自分でもかなり考え方が変化しているのを感じる。

無理に考えて結論を出さなくてもいい。
世間や周りに合わせなくてもいい。
やがて自然と決まってくる。
そして
「なるようになっている」のだ。

肩の力を抜いて、
自然を楽しみ、慈しみ、
自分が心地良いと思う生活を送る。
それが全ての大前提だ、とつくづく思う。

それによって、心の余裕が生まれ、自分のやりたいことだけを無理なくやるようになり、もちろんそれが幸せで、感性のままに生きていく。

そんな私にとって理想的な生き方が、今実現できているようだ。
人それぞれ理想の生き方は違うと思うが、思い込みを捨てて、「自然と決まるように設定する」ことは誰にでもできる。

そのためには毎日の生活の中で、心地よさを追求することが誰にとっても大事なのかもしれない。


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