見出し画像

違和感は個性


某日、noteで知り合った方と初めてお会いした。

いや、実は初めて、と言うのはちょっと違う。

以前、私の無料セッションでオンラインでお話をしている。
その時に実現したい目標について、お話を聞いた。
今それが実現に向かっているらしい。

その後、その方が開催したオンラインセミナーに、今度は私が参加させて
いただいた。

優秀な女性だな、という印象は初めから変わらない。

Noteと言うのは、ほとんどの人が自分の内面にあるものを、さらりと、またはかなり核心を突いて表現しているプラットフォームだと思う。
それゆえ、相手の人となりが、無意識のうちに見えている。
それに共感すると言うことは、会った時の違和感がない、と言うことだ。

共通言語を持つ人、という予感はほぼ当たる。
私はnoteで知り合った方と、今までお二人お会いしているが、どちらの方も「共感ポイント」がとても多かった上に、学ぶことがとても多かった。

学ぶことが多い理由は、「自分の言葉を持っている」すなわち「自分の考え、価値観を持っている」からだと思う。
その考え方や価値観が、自分にないものだとすると、それはイコール学びになる。

ただ共感ポイントがいくら多くても、自分と全く同じ、ということはありえない。
だからこそ、その「少し違うな」という違和感が、相手の個性であり、私の個性なのだ。

違う、ということは悪いことではない。
なぜなら、「みんな一人一人違うから」という前提に立てば「違う」ということは当たり前で、その違いが、一人一人が持つ個性だからだ。

自分の個性と言うのは、自分では分かりにくい。

自分が簡単にできていることは、当たり前だと思って、個性だとは思わない。

自分を客観的に見ることが得意でも、他人から見た自分ほどには客観的には
なれない。
だからこそ、「比較してみる」ことで、自分が見えてくるのだ。

例えば、身近なところで言えば姉妹、兄弟と自分を比較すれば、自分の個性が
見えてくる。

良い点、悪い点、という見方はやめて「個性」と思えばいい。
あとは、それをどう生かすかだ。

でも、活かし方を考える前に、まず自分にはどんな個性があるのかを知る必要が
ある。
それが「人と話すこと」「人と比較すること」で見えてくるのだ。

ただし、注意点としては「人と比較する」時に、「ジャッジしないこと」だ。
どっちが上とか下とか、どっちが良いとか悪いとか、は一切関係ない。

「ここは私ちょっと違うな」と思ったら、そこを深堀していけば、
自分の個性がわかる。

私は、昨日お会いした方との「違和感」は、「私はあんまり戦略的ではない」
ということと、
「私が目指している方向性」に気づいた。

これも、一晩おいてみて、じわーっと感じたことを、少し深堀をしてみたらわかったことだった。

あとはこれをどう生かすか、だ。

私を含め、人はすぐに「良い」「悪い」「好き」「嫌い」でジャッジするが、
「違いが個性」だと思えば、自分を知る手段として人に会う、ということも
アリではないか、と思っている。


サポートありがとうございます!いただいたサポートは、次の良い記事を書くために使わせていただきます!