見出し画像

環境を変えれば常識も変わる

「常識」とか「当たり前」「普通」という言葉を使ったことがない、という人はあまりいないだろう。

「それは当たり前でしょ」

「それは常識だよ」

「普通、そうでしょ」

と言うように、それこそ「当たり前」にこれらの言葉を使っているだろう。しかし、そもそも「常識」「当たり前」「普通」とは、本当なのだろうか。

私は小学校低学年までは、クラスの真ん中くらいの身長だったが、小学校4年から6年の2年間で17センチも身長が伸びた。そのため、小学校6年生で身長が160センチあり、クラスで一番背が高い人となった。小学校の卒業アルバムを見ると、一番後ろの真ん中あたりにいて、クラスメイトから頭ひとつ以上背が高い人として写っている。

その頃から、私はそれを喜ぶどころか、コンプレックスに思うようになった。

「女の子は小さいくらいが可愛い」
そんな当時の「常識」を、簡単に口にする大人、友達がいたからだ。つまり「女の子は身長は低いのが普通」と言う環境だった。そのため、私は猫背気味になり、「姿勢が悪い」と言われるようになっていった。

しかし、高校生でアメリカ留学に行き、周囲の環境が変わった。
すると、私の周りには私よりも身長が高い女の子がたくさんいて、みんなそれを気にすることなく、当たり前のこととして生きていた。「女の子は身長が低い方が可愛い」なんて、誰も言わなかった、つまり私の「常識」が変化した。

一年を経て帰国すると、私は周囲から「姿勢がいいね」と言われるようになっていた。

「常識」「当たり前」「普通」とは、今自分が所属している環境の中でのみ通用することだ。「それは普通でしょ」と言うのは、お互いに普通だと言える共通認識があるとわかっているから言えることにすぎない。

以前高校で講演をする仕事をしていた際、ある高校でとても熱心な男性の先生がいた。私の講演内容も大変褒めてくださり、終了後も話が弾んでようやく帰る段になった際、「僕は教員の常識は社会の非常識だと思ってますから」と言った一言が忘れられない。

つまり、教員の間では「普通」だと思っていることは、社会では普通ではない、と言うことを知っている先生だった。なかなかこんなに自分たちのことを、客観的に見ている人は少ないので、「ああ、やっぱり素晴らしい先生だった」と今でも思い出す。

最近私は新しい人間関係ができているが、年代も、職業も、住んでいる場所も全く違う。つまり「私を取り巻く環境が変わった」のだ。すると、私の中の「当たり前」が変化した。

自分ではまあまあ満足していることがあったのだが、この環境になってから、「いや、私なんてまだまだだ」と思うようになった。例えるなら、中学では成績がトップクラスだったのに、高校に入ったらいきなり中くらいか、それよりも下だった、と言うような感じだ。

つまり、「周囲の当たり前」がレベルが高いから、自分は全然大したことがない、と思えたのだ。それがショックな人もいるだろうが、私はむしろ「向上心」につながり、生活習慣を変えて勉強しようと思うようになった。

「自分を変えたかったら、環境を変えろ」と言う言葉があるが、本当にその通りだ。人は、「自分は普通」と思いたい。なぜなら安心するからだ。

しかし、もっと上を目指したい、もっと成長したい、と思ったら、その上の人たちがいる環境に身を置くことで、自然と自分の「普通」のレベルが上がる。なぜなら、周囲がもっと上にいるからだ。
「このくらいでいいか」と思っていたのが、俄然「いや、もっとできるでしょ」に変化したのだ。

人はひとりで成長するには限界がある。まずは自分よりも上の人たちを見習い、やがて切磋琢磨して、気づいたら成長してた、と言うのが理想的だ。

環境が人を作る。

自分のこの変化を、少し離れたところから見ている気がするのだが、この変化を面白がっている自分がいる。
さて、私が周囲の常識に近付くのはいつになるだろうか、と。

自分のことながら、どこか楽しんで見ている自分がいて、一気に毎日が面白くなってきた。

サポートありがとうございます!いただいたサポートは、次の良い記事を書くために使わせていただきます!