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本場のクリスマス

クリスマスはキリスト教の祝日であることは、誰もが知っているだろう。
ということは、私が一度だけ過ごしたアメリカのクリスマスは、「本場のクリスマス」ということになる。

高校2年生の9月から、アメリカコロラド州のコロラドスプリングスという、コロラド州では2番目に大きい(首都デンバーが一番)街に、中学校教師の
ホストファーザー、専業主婦でペルー出身のホストマザー、6歳の女の子と、3歳の男の子がいる家に、ホームステイをしながら、地元の公立高校に通っていた。

10ヶ月間の滞在では、アメリカの祝日をほぼ味わったことになる。

特に思い出深いのは、「Halloween」「Thanks giving」と「Christmas」だ。

中でもクリスマスは、アメリカの人たちをはじめ、キリスト教の人たちにとっては、とても大きなイベントであることを、実感した。

あれは10月の終わり頃だったと思うが、ホストファーザーがある時、モミの木を抱えて帰ってきた。
本物のモミの木を使って、クリスマスツリーを作るのだと初めて知った。

それから私も含めてみんなで、ツリーの飾り付けをした。

11月ごろから、遠く離れた親戚や友人からクリスマスプレゼントが届き始める。私以外のホストファーザー、ホストマザー、そして子供たち宛に、配送されてくる。

すると、その綺麗にラッピングされた箱は、クリスマスツリーの周りにどんどん並べられていく。

決して、中身は開けない。
クリスマス当日の12月25日に、一斉にプレゼントを開けるのだと聞いた。

さらにクリスマスカードもたくさん届く。

カードは、暖炉の上に次々に開いたまま飾られる。あの暖炉は、そんな使い方があるんだと初めて知った。

日本の家で暖炉がある家庭なんて、40年近く前にはあまり存在してなかったと思うが、私の家にも当然畳の部屋や床の間はあっても、暖炉はなかったので、「贅沢だなー」と思っていた。

しかし、どこの家庭にも暖炉は必需品のようにあり、それはクリスマスカードを並べ、煙突からサンタクロースが入ってきて、この暖炉に降りてくる、ということを子供たちに信じさせるためにあるのではないか、と思った。

実際、ホストファーザーは、家の煙突の掃除もした、と言っていたし(本当かはわからないが屋根には上がっていた)子供たちは暖炉のところに靴下も飾っていた。
家にはその国の文化が詰まっているのだと、今思う。

クリスマス休暇は、12月20日ごろから始まり、学校もお休みとなる。
そして1月1日まで休んだら、1月2日から学校も仕事も始まる。

日本人からすると、お正月が・・・という感じだが、クリスマスが彼らにとってはお正月のようなもので、教会に行く以外は家で料理したものを、家で家族で食べるというのが一般的だ。

私のホストマザーはペルー人だったが、とても食通の人で、料理がとても上手だった。何を食べても美味しかったし、彼女が作るチョコレートケーキは絶品だった。

おやつまで手作りをしてくれていて、本当にありがたい家庭だったのだと、クリスマスデイナーでも思った。

大きなオーブンで時間をかけて焼いたチキン。

これもオーブンで焼いて作った、多くの種類の甘いパン。

サラダに、ベイクドビーンズ(これも専用のポットでずっと炊いていたのを覚えている)など、食べきれないくらいテーブルいっぱいのご馳走が並び、一つ一つが本当に美味しかった。

そして、普段はしてないのだけど、食事の前にホストファーザーがお祈りの言葉を言っていたのも新鮮だった。
ペルー人のホストマザーは、カトリック、ホストファーザーはプロテスタントだったと思うが、どちらもあまり熱心な信者ではなかったのか、教会のミサには行かない家族だった。

熱心な家庭は、クリスマスミサに行くようで、「私たちは行かないの」と言われて、そんな家庭もあるんだと知った。

子供たちは、サンタさんがきてくれることを信じ、明日の朝を楽しみに自分たちの部屋にいそいそと入って行った。

そして、クリスマス当日。

雪が降り積もっていたので、完全なホワイトクリスマスだった。

(それでなくてもコロラドは雪が多い)

子供たちはパジャマのまま、クリスマスツリーのプレゼントのところに行くが、「朝ごはんを食べてから」と両親に言われ、しぶしぶテーブルについた。

クリスマスの朝は、日本のお正月の朝と同じで、それまでクリスマスフードやおせちを作っていたお母さんたちが休むために、前日までに作ったパンや、残ったチキンを食べる。
チョコレートケーキも食べた記憶がある。

簡単な、でも十分な朝ごはんを、まるでお正月の朝のような気分で迎えたのは、確かに不思議だった。周囲がシーンと静かで、みんなが休んでいるから車の通りも少なかったからかもしれない。

そしてお待ちかねの「クリスマスプレゼント開封式」。

私はホストファーザーとホストマザーに何かをあげたのだと思うし、私も何かをもらったのだと思うが、残念ながら覚えていない。

今だったら、写真に残しておいただろうが、40年前の写真も保存しているが、クリスマスの写真はない。

子供たちが次々に自分たちへのプレゼントを開けて喜んでいるのをみて、「これが本場のクリスマスなんだ」と実感した。

あれから現在まで、一度も海外でクリスマスを迎えたことはない。

ただ、一般家庭で本場のクリスマスを味わうことができた経験は、本当に貴重だったなと思う。

まさに「聖なる夜」という感じがした。

澄んだ空気。

降り積もった雪。

静寂の街。

何よりクリスマスを迎える人たちの気持ちが、例えその時だけでも神に向くからなのかもしれない。

では、同じようなクリスマスを送りたいか、と言われると、それはちょっと違って、やはりお正月のおせち作りの方が力が入るのは、DNAの存在を感じずにはいられない。

何より、あの国であのクリスマスを過ごすからこそ、
マッチするのであって、日本で本場のクリスマスを送るのは不似合いな気がするのかもしれない。

*昨日と今日、日本でおそらく一番聞かれている曲だろうと思います。
日本人はクリスマスというと、この曲かもしれません。(若い人を除く)

素敵なクリスマスを!!


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