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才能を伸ばすのは、誰にでも与えられた平等


才能とは持って生まれたもの。
持って生まれたものが何なのか、がわからないからこそ、人はあらゆる経験をする。

経験が多い人は、自分の才能を見つける可能性が高くなる。

人との比較も
人のこと自体も、関係ない。
自分が持っている才能が何なのかが分かれば、
あとは伸ばせばいい。
もちろん伸ばしたいなら、だ。

才能はなんでもいい。
家事も、事務的仕事も全て才能だから。
得意なことは才能だ。好きなことは才能だ。

その才能を伸ばした結果、違う分野の才能がある人と繋がりやすくなる。
異なる才能でも、どこまで伸ばすかについては無限だし、どこまでも伸ばしている途中で、異なる分野だけど同じように才能を伸ばしている人たちは、同じレベルで共感しやすくなる。

今は生まれた環境や親のせいにして、「親ガチャ」と言う言葉も生まれている。
確かに、生まれた時点で人は平等ではない。
ただ、生まれた後に才能を伸ばしていった先の世界は、平等だ。

こんなことを感じたのは、とても有名な方のYouTube内容に共感し、コメントを残したところ、ご本人自ら「いいね」を押してくださったことからだ。

多忙な人が、コメントに目を通し、もしかすると誰にでもいいねを押しているのかもしれないが少なくとも目を通し、いいねを押すに値したと思って頂いたのかもしれない。
それはもしかしたら、「才能を伸ばした結果、同じレベルに達すればチャンスは平等に与えられる時代」なのではないか、と思ったからだ。

不平等を訴え続けても何も変わらない。
でも自分の才能を見つけ、伸ばし続ければ平等な世界に行ける。
もちろん本人が行きたいなら、だ。

実はそんなサクセスストーリーは昔から山ほどあるのだから。
ただほとんどの人は、「それは一部の限られた、運の良い、特別な才能を持っている人だけ」と思いがちだ。
私もそう思っていた一人だから。

でも自分の才能を見つけたら、道が見える。

これも信じるどうかによって、世界は変わる。
なぜなら、自分が信じた世界に自分はいるから。
自分が望んだ世界に自分はいるから。

もし違和感を感じたら、違う世界に行けばいい。
それも自分の意思と行動。
意思と行動によって人はどこにでも行ける。
それが容易な時代になり、誰にでも与えられた平等な世界は、確実に存在する、と思っている。

そう思ったら愚痴を言う暇ももったいなくなり、ただただ自分のやりたいことをやり続けて行くだけ。

これもそれぞれの選択だけど。


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