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「また明日ね」の奇跡

2020年も残すところあと数日となった。マスク生活から解放されるのはいつのことかなと思いながら家と職場を往復しているうちに、気づけば年の暮れ。毎年の恒例である、スーパーの陳列棚における見事というしかない程あざやかな『クリスマス→迎春仕様』への掌返しも無事に行われ、一時期買いだめでどこもかしこもすっからかんだったことを思うと、曲がりなりにも人々の生活はそれなりに平穏に営まれているのだなと少しホッとする。

クリスマス直前の冬至の頃、おもにネット上が「いよいよ風の時代に突入!」という話題であちこち盛り上がっていた。20年ぶりに木星と土星が大接近する『グレート・コンジャクション』が、今までの山羊座から200年ぶりに水瓶座に移る『ミューテーション』と重なって起こるという結構なオオゴトで、世紀の一大イベント!だそうだった。

幸いにもそのあたりは天気に恵まれ、なかなかの天体観測日和となった。…とはいえ、星を眺めるのが好きな人ならかろうじて「本当だ、きれいだね!」と注目していただろうけど、星空にも占星術に興味がなければ「へーそうなんだー」くらいのもので、一般的にはさほど気に留める人も多くはない天体ショーのひとつ。ピンと来てない人がほとんどだと思う。

なんだけれども、実は過去を振り返るとやはり『土星座に象徴される』ような時代だったのも確かなのだ。すなわちこれからは本当に『風星座的な影響がどんどん強くなってくる』ということ。わたしも詳しいわけではないものの、すでにそういう流れが来ていることくらいは体感的にわかる。自由で知的で、情報が瞬く間に駆け抜け、これまでの概念がどんどん崩れていく、変化に富んだ時代。そして同時に、当たり前にあったはずの形あるのものがゆらぎ、風化し、ほろほろと解けて消えていく、乾いた個人主義の世界の始まり。

とかく名前のつけられたイベントだけがクローズアップされがちだけど、なんのことはない。この宇宙の星々に、まったく同じ配置が起こることはもう二度とないのだ。すべては常に動いている。毎日同じ時間に乗る同じ車両の満員電車でもそこに集う顔ぶれは日々異なるように、「今この時」を共にしている人と再び会える確率というのは、実際のところ限りなく低い。

先日、わたしが今の職場で働き始めてからお世話になっていた先輩がご退職された。休憩の時間が重なる時はお昼も一緒だったし、以前にプライベートで食事に行ったこともある。世間的にこんな状況下なので残念ながら送別会などができず、「また落ち着いたらみんなで飲みに行きましょうね」と個人的にささやかなプレゼントをお渡しして、退職日を迎えることとなった。

その前日、まだ上がれない先輩に「それじゃあ、また明日!」と声をかけて、ふと「この『また明日』もこれが最後なんだな」と思った途端に目頭が熱くなり、更衣室へ向かうエレベーターの中でひっそりと涙をぬぐった。

これだけだと、なんだかその人に対してよっぽど深い思い入れがあったのかと思われるかもしれないけど、率直に言うとそういうわけじゃない。ただ、これまで当然のように顔を合わせていた身近な存在が、もうすぐ毎日の生活の中から消えてしまうということに対しての感慨だった。

自慢じゃないが、自分自身もこれまでに数え切れないくらい環境を変えて来たし、たくさんの人と接する職場が多かったので、その都度新しい出会いと別れを繰り返し続けて現在に至っている。だから、知っているのだ。別れの挨拶が「また明日」じゃなくなった人とは、その後ほぼ会うことはないということを。

共通の趣味があるとか、とても気が合っていてしょっちゅう一緒に遊ぶ間柄ならこの限りではないけれど、おもに生活圏が交わっているだけという関わりの場合、その変化と共に離れてしまうのは自然の理。どんなに仲の良かった友達でも、同じ釜の飯を分け合った仲間でも、かつて一心同体のように感じられた恋人や伴侶でも、生活のステージが変わるのに合わせて次元が切り替わってしまう。

もちろん連絡先は知っているし、住んでいる家もそう遠くはなく、会おうと思えばいつでも会える。でも、もう『お互いに会おうと思わなければ会えなくなる』のだ。もしどっちか片方が会いたいと思っていても、相手のベクトルが同じようにこちらを向いていなければ、同じタイミングで引力が働かなければ、それは叶わない。

そして大抵の場合、新たな生活のほうの優先順位が高くなり、『用事のない相手にわざわざ会う』時間はないし、その必要もないのである。日常の中でただ、なんてことのない会話を交わしたり、昨日見たテレビの話で笑い合ったりできるのは、同じエリアの中で関わっていられる間だけ。

そう考えると、人と人の再会だって、グレート・コンジャクションなみの宇宙のビッグイベントだよね、と思うのだ。それは、異なる軌道を旅する惑星同士が、新しい場所で再び相まみえるのと同じことだろう。

風の訪れと共に、懐かしい誰かがわたしとどこかでまた接近する。2021年には、そんな奇跡的な出来事が起きるかもしれない。来年はどんな「また明日」に出会えるのかに思いを馳せながら、日々移り変わる星空を見上げている。

お福分けのひとしずくをありがとうございます!この波紋を大きく広げていきたいと思います。