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短編小説「少年たちの秘密基地」【前編】

「そう、誰がこのクラスの給食に勝手にプリンを追加したのか、ほんまに誰も知らんということやね?
 分かりました。これから塾や習い事がある人もおるやろうから、今日のところはこれで解散とします。はい、解散」

 5年2組の帰りの会は、糸井先生のその言葉で幕を閉じた。

 僕ら-僕とマナブとシゲチーとよっちゃんの4人-は教室を真っ先に飛び出し、階段を駆け降りた。

 昇降口を出ると、強い日差しが僕らを迎え入れた。校庭からアブラゼミの鳴き声が聞こえる。
 7月中盤。夏休みまで、あと少し。暑くて堪らないけど、僕の気分は踊っていた。

 校門を出て、学校の前のT字路で僕ら4人は立ち止まった。
「よし」マナブは腕時計を見た。「今が3時半ちょうどやから、今から30分後の4時に『学校前』に集合な」
 分かった、と僕らはマナブの提案に合意し、それぞれの自宅に向かって散っていった。

 マナブの言う『学校前』とは、『学校の前』のことではない。
 僕らが通う、加古川市立氷丘かこがわしりつひおか小学校の前には『学校前』という店名の駄菓子屋があって、地元の小学生たちの溜まり場となっている。
 学校の前にあるから、学校前。少しややこしいけど、そこは僕らにとって特別な場所なのだ。

 僕らの町は鉄道と高速道路とバイパスが通っているから、四六時中交通の音が聞こえる。
 僕は電車や車の走行音や蝉の鳴き声を聞きながら、1人帰り道を走り、暫くして自分の家に帰り着いた。

 この時間帯、両親は仕事中で、姉貴はまだ授業中かバスケ部の練習中だ。だから家の中には、僕以外誰もいなかった。

 重たいランドセルを2階の部屋に放り、ナップサックに財布と漫画を詰め込んだ。
 冷蔵庫の中から1.5リットルの三ツ矢サイダーを取り出して、それをグラスに注いで一気に飲み干すと、僕は勢いよく家を飛び出した。

 一軒家が建ち並ぶ住宅街の中、僕は自転車を思い切り漕いで、やがて待ち合わせ場所である『学校前』に到着した。

 駄菓子屋、学校前は古い二階建ての屋根瓦の家で、店先には飲料とタバコの自動販売機に公衆電話が設置されていて、店の周りを沢山の観葉植物が囲っている。
 『学校前』と書かれたトタン張りの看板の下には何人もの小学生たちの姿があって、いつもと変わらない賑わいを見せていた。
 その中で、マナブとよっちゃんは既に到着していて、2人とも駄菓子を食べていた。

 僕は2人の傍に自転車を駐めた。「よっす」
「「よっす」」2人は同時に言った。
「なんや、もう食べてるんか」
 マナブはコーヒービート、よっちゃんはよっちゃんイカを食べていた。秘密基地で祝杯を上げようって約束したのに。
「だって、腹減ってんねんもん」マナブはコーヒービートを頬張りながら言った。
「プリン食べたのに?」
「やあねえ、プリンは別腹に決まってるじゃないのよっ」
 よっちゃんがわざとおどけた調子で言ってみせたので、僕ら3人は爆笑した。

「シゲチーは?」
「店の中におる」
「まあた僕が最下位かあ」
「しゃあないやん」マナブが言った。「オサの家、俺らん中で一番遠いねんから」
 僕はみんなからオサと呼ばれている。本名が小山内治おさないおさむだから、必然的にあだ名がオサになった。
 個人的に『野比のび太』みたいな名前の付けられ方が少し気に入らないけど、最近学校の図書室で夢中になって読んでいる『火の鳥』の作者、手塚治虫と同じ名前なのは少し気に入っている。

「そうそう。オサがいっつもビリなのはさ、みつぜんてきやろ」
「それを言うなら必然的や」マナブがすかさず訂正した。
 よっちゃんこと、青柳義孝あおやなぎよしたかは少し背伸びをしたらしい。
 よっちゃんは僕ら4人の中で一番のお調子者で、常に誰かを笑わせようと画策している抜け目のない男だ。
 クラスのムードムーカー的な存在なのだが、僕らの中で一番先生から叱られることが多いのもよっちゃんである。
 将来の夢は吉本所属のお笑い芸人になることらしく、彼ならその夢を叶えるだろうと僕は確信している。

 狭い店内は沢山の小学生たちでひしめき合っていて、移動するのにも一苦労だった。
 放課後のこの時間帯、店は必ずと言っていいほど混雑する。

 何本ものうまい棒を片手で持ったシゲチーの姿を見つけると、僕は人混みをかき分けてなんとかそこまでたどり着いた。
「よっす、シゲチー」
「あ、オサ」シゲチーは僕の方を振り向いた。
 僕はナップサックから『サカモトデイズ』の最新刊を取り出して、シゲチーに渡した。「ありがとう、おもろかったわ」
「せやろ? 今ジャンプで一番おもろいと思うわ」
「同感。にしても、あの刀のじいさん強すぎひん?」
「ほんまっ、それな」

 矢野重清やのしげきよ。通称、シゲチーは幼稚園からの仲だ。
 図体が大きくて、『サカモトデイズ』の主人公みたいに結構太っている。だから人一倍運動が苦手で体力はあまりないんだけど、体型の印象とは裏腹に手先が器用で裁縫や工作が得意。
 穏やかな性格で一度も怒るところを見たことがなくて、僕はシゲチーと互いによく漫画の貸し借りをしている。

「シゲチー、またうまい棒やん。ほんま好きやね」
「だって、うまいねんもん」
「今年値上げしよったよな」
「ほんまよ、前は10円で買えたのにさ。小学生には死活問題やで、これ」

 数分後、僕は悩んだ末にミニコーラとセコイヤチョコレートとヤングドーナツを買い、店先の自動販売機でチェリオのメロンを買った。

 それから僕ら4人は全員が自転車に跨り、秘密基地に向かう準備が整っていた。
「ほな行くでっ」よっちゃんは片手を上げた。
 みんなが一斉に自転車を漕ぎ、僕らの秘密基地に向かって走り出した。

 5分後、僕らは畑道を通り抜け、小さな森の前にたどり着いた。
 秘密基地は、小学校から直線距離にして1キロ先の森の中にある。

 僕らは自転車から降りて、車体を押して森に入っていった。
 この時間帯になるとミンミンゼミとクマゼミが鳴かないから森の中は比較的静かで、日陰に覆われているから比較的涼しい。
 僕らの秘密基地は、なかなか快適な環境にあるのだ。

 僕らは昨夜の阪神と巨人のナイターについて語り合いながら、森の奥を進んでいった。30秒ほど歩いていくと、やがて秘密基地が見えてきた。
 白い布で囲まれた円筒形の秘密基地。

 各自が家で使わなくなったシーツを利用して、木と木の間をバリケードみたいに覆い隠すことで、基地の形は円筒形に仕上がっている。
 計4枚のシーツの両端にそれぞれ長い紐を縫い付け、それを木の幹に括り付けているのだ。

 白いシーツで覆い隠された僕らだけの空間。
 この作業は裁縫が得意なシゲチーが中心になって行い、苦労の末に今年の5月に完成した。
 まだ完成してから2ヶ月しか経っていない、新築の秘密基地だ。

 僕らは自転車を秘密基地の傍に駐めて、シーツを捲り、中腰になってそこを潜り抜けた。
 中は半径1メートルの空間になっていて、雑草が生い茂る地面の上には読まなくなった数冊のジャンプが雑然と積まれている。
 木陰とシーツに覆われた秘密基地の中は少し薄暗く、その名の通りどこか秘密めいた雰囲気を帯びている。
 そして僕の10年間の人生の中で最も心が弾み、最も心が落ち着く場所がこの秘密基地だ。

 基地内で、僕らは輪になるように座り込んだ。僕の左手にマナブ、右手にシゲチーがいて、正面によっちゃんがいる形だ。僕らは買った駄菓子と飲料をバッグから取り出して、自分たちの前に置いた。
 そしてみんなが互いに顔を合わせ、それから一斉に吹き出した。20秒だか30秒は笑いが止まらなかった。

「ああ、これは傑作や」
「大成功やったな」
「あかん、笑い過ぎて腹よじれるわ」
「俺なんか笑い過ぎて腹壊しそうや」
 よっちゃんのその一言で、僕らはさらに爆笑の渦に包まれた。

「糸井先生、本気で怒ってたよな」
「給食の時間、プリンが出るって知った時には、子供みたいに喜んでたのにな」
「プリン出たのが自分たちのクラスだけやってわかった時さ、血相変えて怒ったもんな。あの豹変した態度、俺あれ笑いそうになったわ」
「俺も俺も。必死に堪えたけど」
「正直な、ここまで上手くいくと思ってへんかったわ。ほんまに計画通りやったな」

 僕らの計画。それは自分たちのクラスの給食にだけ、プリンを出すこと。

 この『プリン計画』は1週間以上前から慎重に練っていて、そして今日実行に移すことができた。
 僕とシゲチーとよっちゃんの3人が給食当番を担当する週を利用して、合計36個のプッチンプリンを僕らのクラスに配膳したのだ。

 具体的な方法としては、まず先生を合わせたクラス全員分のプッチンプリンを、前日にスーパー『マルハチ』で買っておく。
 そして4時間目が終わった瞬間、マナブが36個のプッチンプリンが入ったレジ袋を見つからないように配膳室まで持っていき、5年2組の牛乳カゴの上にこっそりと仕込んでおく。
 それから牛乳運搬係である僕とよっちゃんが、何食わぬ顔でそれを教室まで持っていき、何食わぬ顔でそれを牛乳と一緒に配膳する。

 そうして給食の時間、僕らの教室の机には江崎グリコのプッチンプリンが鎮座することになったのだ。
 計画は見事に成功した。大成功だ。

「今回の悪戯、ごっつおもろかったわあ」よっちゃんが言った。「これ、一生の思い出になるんとちゃうか?」
「僕もそう思うわ」僕は頷いた。「スリルあったし、やり甲斐もあってさ。みんな喜んでくれたもん」
「なあ、こんなん慈善事業みたいもんやろ? 怒ってるのは糸井先生だけやったで」
「先生の立場上、怒らざるを得ないんやろうなあ」マナブが冷静に言った。
「にしてもマナブ、プリン持ってく時よう気づかれんかったな」シゲチーが言った。「誰にも咎められんかったん?」
「全然。俺の場合、優等生で通ってるからさ、まさか湯浅がプリン運んでるなんて誰も思わんのよ」

 湯浅学ゆあさまなぶは僕ら4人の中の参謀みたいな存在で、博識でとにかく頭が切れる。
 当然勉強は大の得意で、テストはどの教科も常に満点を叩き出す秀才だ。
 記憶力が抜群に良くて、大人顔負けの知識を持っている。だからなのか、僕ら3人からすればマナブは他の同級生よりもずっと大人びて見える。
 口には出さないけど、マナブは多分家柄的に、来年は中学受験を控えているんじゃないかと僕は思っている。

 僕らは計画の成功を祝し、各々が買ったジュースで乾杯をした。
 それから駄菓子を頬張りながら、プリン計画の感想を好き勝手に言い合った。

 基地に着くまでは、プリン計画については一言も言及しないと事前に決めていたのだ。
 僕ら以外の人間に聞かれたら、僕らが犯人であることがバレる危険性がある。

 だがそんな時、「全部聞いたでっ」とシーツの向こうから女子の声が聞こえてきた。

 僕らは息を呑んで、シーツの向こうにいる人影を見つめた。

【後編】につづく

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